皆さん、こんにちは。暑い日が続きますねぇ。くれぐれもご自愛ください。さて、紙上遍路の今年のかわら版。暑さに負けず、では出発。
よさこい節の竹林寺
三十番、善楽寺から約七キロメートル。三十一番は五台山竹林寺です。
中国五台山で文殊菩薩に拝した夢を見た聖武天皇が、行基に五台山に似た地を探すように命じます。行基は各地を行脚し、この地を発見。栴檀(せんだん)の木で文殊菩薩を彫り、山上に建てた本堂に祀りました。
のちにお大師様がこの地に滞在し、荒廃した堂宇を修復。霊場としました。
山内一豊公が土佐藩主になって以降、竹林寺は藩の庇護を受けて繁栄します。
幕末、竹林寺の脇坊妙高寺の僧純信がおうまという娘と恋仲となり、駆け落ち。このことを謳ったのが「土佐の高知の播磨屋橋で坊さん簪(かんざし)買うを見た」で始まるよさこい節。
悲恋の寺として有名になりましたが、本来は南海第一道場と呼ばれる学問寺院。
眼下に高知市街、瓢箪型の浦戸湾を見下ろします。
船魂の観音
三十一番から約七・五キロメートル。土佐湾に面した小高い山の上に建つ三十二番、八葉山(はちようざん)禅師峰寺(ぜんじぶじ)。
お大師様がこの地で修行した際、山容が八葉の蓮台に似ているとして山号を命名。
縁起によれば、聖武天皇が航海の安全を祈願して行基に建立を下命。以来、船魂(ふなだま)の観音と呼ばれ、出航する歴代藩主や漁師が航海の無事を祈願。
境内から遠く桂浜が見えるこの寺は、地元の人々に峰寺(みねんじ、みねでら、みねじ)と呼ばれ、親しまれています。
臨済宗妙心寺派
三十二番から約七・六キロメートル、三十三番は高福山雪渓寺(せっけいじ)。
お大師様が開創した当初の寺号は高福寺。
鎌倉時代に高名な仏師、運慶と湛慶の親子が滞在して本尊や脇侍を彫像したことに因んで、寺号を慶運寺に改称。
廃寺となっていたのを再興したのは長宗我部元親公。家門の宗派である臨済宗から月峰和尚を招き、中興の祖としました。元親の死後、その法名から寺号をとって雪渓寺に改称し、今日に至っています。
四国八十八ヶ所霊場には、真言宗以外の寺が八つ。土佐では雪渓寺が唯一。臨済宗妙心寺派です。
★安産の薬師
三十三番から約七キロメートル、田園の中に静かにたたずむのが三十四番、本尾山種間寺(たねまじ)。
六世紀、大阪四天王寺の造営に当たった百済の仏師や造寺工が帰途の航海中、暴風雨に遭って本尾山近くに寄港。仏師たちは航海の安全を祈願し、薬師如来像を彫って本尾山頂に祀ったのが寺の縁起。
その後、お大師様がこの地を訪ね、薬師如来堂を本尊として開創。
お大師様は唐から持ち帰った米、麦、粟、きび、豆の五穀を境内に蒔き、五穀豊穣を祈願。寺号(種間寺)の由来となりました。
ご本尊は安産の薬師として信仰を集めています。
妊婦は柄杓(ひしゃく)を持参。寺では柄杓の底を抜いて安産祈願。妊婦はそれを床の間に祀り、出産後に寺に奉納。底を抜くのは、通りを良くする安産の願かけのようです。
四万十川と足摺岬
次回は高知市を抜けて、土佐西部に向かいます。三十五番、清滝寺からスタートですが、何とか四万十川を渡り、三十八番、金剛福寺のある足摺岬まで頑張りたいと思います。乞ご期待。