【第152号】四国霊場、紙上遍路の旅2(四番黒巌山大日寺・五番無尽山地蔵寺・六番温泉山安楽寺・七番光明山十楽寺・八番普明山熊谷寺・九番正覚山法輪寺)

皆さん、こんにちは。春が待ち遠しいですねぇ。まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。紙上遍路の今年のかわら版。それでは出発。

勝軍地蔵菩薩

三番札所から四・七キロメートル。四番札所は黒巌山(こくがんさん)大日寺。ご本尊は大日如来です。

お大師様が厄年(四十二歳)の時にこの地で修行し、大日如来を彫造。そのことに因んで寺号は大日寺。

蜂須賀小六を祖とする阿波藩主・蜂須賀家。大日如来を守り本尊とし、荒廃していた大日寺を再興しました。

先々代ご住職が、不治の病とされていたハンセン病のお遍路さんを手厚く接待したことでも知られています。
大日寺を出て、途中の地蔵尊、羅漢道を通って一・八キロメートル。五番札所は無尽山地蔵寺です。ご本尊は延命地蔵。

嵯峨天皇勅願によってお大師様が開基。その際、彫られたのが勝軍(しょうぐん)地蔵菩薩。延命地蔵の胎内に納められています。

その名前から、源頼朝・義経、蜂須賀家など、多くの武将が信仰しました。

本堂奥の羅漢堂には、等身大の五百羅漢が立ち並んでいます。

治眼疾目救済地蔵尊

五番札所から四・七キロメートル、六番札所の安楽寺。所在地・引野村は古くから温泉で知られたことから山号は温泉山。ご本尊は薬師如来。

難病に苦しんでいた愛知県尾西市の水谷しづさん。安楽寺住職の勧めで夫の繁治さんと病身を押してお遍路を決行。二十七番札所神峯寺の山中で霊験を得て奇跡的に難病が完治。昭和三十七年のことです。

ご本尊はその報恩のために水谷夫妻等が奉納したもの。愛知県先達会の皆さんはよくご存じの話ですね。
六番札所から一・一キロメートル、七番札所は光明山十楽寺。

お大師様がこの地で参籠した際に阿弥陀如来を感得。阿弥陀如来を彫ってご本尊としました。

十の光明と楽しみが得られるようにと、お大師様が山号寺号を授けたそうです。

本堂左側には治眼疾目救済地蔵尊。古くから眼病や失明に悩むお遍路さんが熱心に参拝し、数々の霊験が伝えられています。

弘法大師御衣

七番札所から三・八キロメートル。八番札所は普明山熊谷寺(くまだにじ)。ご本尊は千手観世音菩薩です。

仁王門は四国霊場の中で最大級。一六八七年建立で、間口九メートル、高さ一二・三メートル。和唐折衷様式で、二層目の天井や柱には極彩色の天女像が描かれています。

大師堂の弘法大師坐像は室町時代に彫られた指定文化財です。

八番札所から二・二キロメートル。九番札所は正覚山法輪寺。ご本尊は涅槃釈迦如来です。

旧名は白蛇山法林寺。お大師様がこの地で修行中に白蛇に遭遇。白蛇は仏の使いであることから、お大師様は釈迦涅槃像を彫造して寺を開基。ご本尊の御開帳は五年に一度です。

寺宝の弘法大師御衣(おころも)は、高野山奥の院の御衣替えに因み、一八八二年、明治天皇が法輪寺に下賜されました。

菅笠(すげがさ)

お遍路さんが被る菅笠。強い日差しを遮り、雨をしのいでくれます。

笠には住所氏名を書き、「同行二人」「迷いが故に三界は城なり」「悟りが故に十方は空なり」「本来東西無く」「何処南北有り」と記します。

我欲、我執、迷いを捨て、悟りを開いて心静かな境地に至ることを説いています。南無大師遍照金剛。合掌。

吉野川

今月は一八・三キロメートル歩きましたね。来月は十番札所に向かい、その後、四国最長の吉野川を渡ります。乞ご期待。