【第146号】最澄・空海後の仏教8(室町仏教)

皆さん、こんにちは。立秋も過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。最澄、空海後の仏教がテーマの今年のかわら版。今月は室町仏教についてです。

鎌倉六宗派

奈良時代の南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)に限界を感じた最澄と空海が天台宗と真言宗を開いた平安時代初期。

やがて、政治の混乱(保元の乱、平治の乱)や天変地異、飢饉などで人心が荒廃し、末法思想が広まった平安時代末期から鎌倉時代初期。

人々は現世の混乱や貧困を悲観し、来世での幸せを願うようになります。

そうした中で誕生した新しい仏教。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗が鎌倉六宗派です(先月号まで参照)。

南北朝時代から室町時代へ

一一九二年から始まった鎌倉幕府。元寇後の恩賞不足、執権・北条得宗家の専横などへの御家人の不満が高まり、やがて後醍醐天皇に呼応して足利尊氏、新田義貞が蜂起。一三三三年、鎌倉幕府は滅亡しました。

その後、後醍醐天皇による建武の新政が行われましたが、三年で崩壊。足利尊氏が室町幕府を開くとともに、朝廷が分裂し、約六十年間の南北朝時代に突入。

一三九二年(明徳三年)、三代将軍足利義満の下で明徳の和約が成立。南朝の後亀山天皇が吉野から京都に入り、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位。

南北朝が統一され、本格的な室町時代が始まりました。

夢想疎石(むそうそせき)

室町時代は武家文化が花開いた時代。そして、武家文化と結びついて繁栄したのが臨済宗です。

その礎となったのは、北条家、後醍醐天皇、足利家のいずれからも信頼を得ていた臨済僧、夢想疎石(一二七五~一三五一年)。

足利尊氏、直義兄弟は疎石に帰依し、元寇の犠牲者や後醍醐天皇の菩提を弔うために全国六十六国二島に安国寺を建立。

疎石が仏教諸宗の融合を説いたこともあり、公家の帰依者も増加。やがて、活動の拠点は鎌倉から京都に移りました。

足利義満は中国(宋)に倣い、臨済宗に五山十刹(ござんじゅっさつ)を定め、寺の秩序を整えます。

南禅寺を五山の上とし、京都では天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、鎌倉では建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺を五山としました。

やがて五山は、仏教よりも政治や文化の拠点となり、儒学や文学が盛んになりました(五山文学)。
しかし、仏教から離れた五山はやがて衰退。臨済宗の中心は大徳寺、妙心寺に移ります。

瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)

臨済宗と並ぶ禅宗の雄は曹洞宗。京都の公家や武家に広まった臨済宗とは対照的に、地方の大名や庶民に浸透していきます。

越前に総持寺を建立した瑩山紹瑾(一二六八~一三二五年)が曹洞宗の中興の祖。曹洞宗は永平寺と総持寺(その後、関東の鶴見に移転)を両本山として発展します。

浄土宗でも、小石川伝通院を開いた聖冏(しょうげい)、増上寺を建立した聖聰(しょうそう)などを輩出し、室町時代の庶民に信仰が広まりました。

一向宗(いっこうしゅう)

室町時代はやがて戦国時代、安土桃山時代へと移ります。その時代に圧倒的な存在感を示したのが一向宗と呼ばれた浄土真宗。

来月は、一向宗の興隆をお伝えします。乞ご期待。