【第139号】最澄・空海後の仏教1(平安仏教の変遷)

皆さん、こんにちは。最澄と空海の時代についてお伝えしている今年のかわら版。いよいよ大詰め。今月のテーマは最澄の教えです。

照千一隅(しょうせんいちぐう)

最澄の偉業は、小乗の奈良仏教(南都六宗)と一線を画し、比叡山で天台宗を立て、大乗の教えを説いたことです。当時の仏教界の常識からすれば、大改革、革命とも言うべきことでした。

八一八年、大乗戒だけで授受戒する新しい法門(宗)を目指し、朝廷に提出したのが天台宗規則(山家学生式の六条式)です。

その冒頭に記されているのが「照千一隅」。曰く「一隅を照らさば、これ則ち国の宝なり」。
最澄は、国を護り、衆生を救う僧の育成を目指していました。

「照千一隅」は、社会の中の一隅に光を与え、国を護り、衆生を救うことのできる僧であるならば、それは国の宝であるという意味です。

転じて現代でも、一隅を護る人、自分の仕事に努力する人であれば、誰でも国の宝になると解釈される場合もあります。

現代にも影響を与えている最澄の教えの含意。最澄の偉大さが伝わってきます。

愚禿(ぐとく)

七八五年、比叡山に籠もる際に書いた誓いの文である願文(がんもん)。

曰く「愚が中の極愚(ごくぐ)、狂(おう)が中の極狂(ごくおう)、塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下(ていげ)の最澄」。

猛烈に自省し、謙虚に自己評価している一文です。

自分は愚かな者の中でも極めて愚か者であり、甚だしく修行の足りない者(狂)である。煩悩(塵=ちり)にまみれた形だけの僧(禿)であり、自分は最低の人間であると卑下しています。

自分自身を謙虚なうえにも謙虚に評し、真摯に自己研鑽と修行に取り組む決意を表した一文です。

誰にもそうした謙虚さが必要であることを諭しているように思えます。

後に比叡山で修行した僧たちが今日に続く多くの宗派を生み出します。

そのひとつである浄土真宗の祖、親鸞。最澄の願文から自分の名をとり、愚禿(ぐとく)と称していました。

忘己利他(もうこりた)

願文の中で最澄は五つの誓いを立てました。

その第五は、自己研鑽と修行で得た功徳(くどく)を人々に施し、ともに悟りを目指すことを誓っています。

また、山家学生式では、悪いこと、凶事は全て自分が一身に引き受け、良いこと、好事は全て他人に回ることを願い、「忘己利他」を掲げています。

曰く「己(おのれ)を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」。

自己を忘れて、社会に尽くし、衆生の幸せを願うことこそ大乗の教え。

他人に利益を与える「忘己利他」の精神は菩薩道に通じています。

社会貢献(照千一隅)、自己反省(愚禿)、慈悲(忘己利他)が最澄の教えの三本柱と言えます。

浄土思想

最澄の遺志は円仁や円珍が継ぎ、天台密教は最終的に安然(あんねん)が大成しました。

比叡山中興の祖と言われるのが良源。その弟子源信は浄土思想を広め、そのことが後の鎌倉六宗派、今日につながる多くの宗派の宗祖を生み出しました。

最澄がいなければ、日本の仏教も社会も今とは大きく異なる姿となったでしょう。

来月は、その最澄が一時は師事した空海の教えについてお伝えします。乞ご期待。