【第122号】飛鳥・奈良時代の仏教8(霊異記に登場する役行者の説話)

皆さん、こんにちは。最澄・空海に至る飛鳥・奈良時代の仏教がテーマの今年のかわら版。今月は霊異記に登場する役行者の説話をご紹介します。

一言主大神

最澄・空海が活躍していた八二二年に編纂された霊異記。その中に、薬師寺の僧、景戒(きょうかい)が記した役行者(えんのぎょうじゃ)の説話があります。修験道の祖と言われる役行者に関する最古の文献です。

役行者は役の優婆塞(えのうばそく)という名で登場。古くは賀茂の役公(えのきみ)、その当時の高賀茂朝臣(たかかもあそん)の系統と記されています。

幼少より賢く、仏法信仰に篤く、四十歳を過ぎてなお巌窟(いわや)に住み、修行を続けていました。

やがて験力(神通力)が高まり、自在に操れるようになった鬼神に対して「金峯と葛木(城)山の間に橋を架け渡せ」と命じます。

役の優婆塞の行いを憂いた葛木山の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)。里人にのり移って「役の優婆塞が陰謀を企て天皇を滅ぼそうとしている」と訴えます。

朝廷はこの訴えを聞き、役の優婆塞の母を捕えて囮(おとり)とし、役の優婆塞を捕縛します。

葛木山の神々は朝廷の守護神。役の優婆塞の行いが朝廷の怒りを買ったことを示唆しています。

孔雀経法

役行者は孔雀経法を修めていたと言われています。

毒蛇を喰べる孔雀を神格化した孔雀明王。その孔雀明王の秘法が孔雀経法。

日本には奈良時代に伝わり、その呪文は、雨乞い、晴乞い、無病息災、災疫撃退などに役立つと信じられていました。

最澄・空海が密教を追求する百年以上も前に、役行者は孔雀明王を本尊とした密教的修法を体得していたことになります。

空海が追求した大日如来を本尊とする真言密教。空海の都での拠点東寺に因んで東密と呼ばれています。その東密では、孔雀経法を雑部密教(雑密)と呼んでいます。

空海に教えを請いつつ、最澄が比叡山で修得した天台密教は台密(たいみつ)と呼ばれています。

葛城襲津彦

役行者が生まれ育った葛木山周辺の豪族の祖は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)。日本書記には三八四年に新羅に派遣されたと記されています。
その娘、磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后となり、その子供達から履中(りちゅう)・反正(はんぜい)・允恭(いんぎょう)という三代の天皇を輩出。

つまり、役行者は皇統に纏(まつ)わる系譜と因縁があったことになります。

加えて、仏教の国家管理が徐々に進む中で、山岳修行を行う修験者や私度僧は朝廷の監視対象であったことが、験力と名声を高めていた役行者の捕縛につながったようです。

霊異記の一言主大神は、役行者捕縛の契機となった讒言(ざんげん)の主、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に擬せられています(先月号参照)。

伊豆配流となった役行者は、夜になると富士山に飛んで修行。やがては唐に渡って法相宗の僧、道昭(どうしょう)の前に現れ、「三年に一度日本に行き、金峯山、葛木山、富士山を登拝する」と告げたそうです。

役行者の超人伝説は今も語り継がれています。

大僧正行基

役行者と同時期の山岳修行者であった行基(六六八年~七四九年)。

役行者とは対照的に、やがて朝廷の中心で活躍し、大仏建立の勧進聖(かんじんひじり)となります。来月は行基についてお伝えします。乞ご期待。