【第100号】仏教伝来10(元・明・清の時代)

皆さん、こんにちは。仏教伝来がテーマの今年のかわら版。今月は中国編の最終回。元・明・清の時代です。

フビライ・ハーン

中国漢民族は常に北からの脅威に直面していました。

遼(りょう)、金(きん)に続いて勢力を伸ばしたのは蒙古(モンゴル)です。

一二〇六年、太祖チンギス・ハーンがモンゴルを統一。

五代目の世祖フビライ・ハーンが南宋を滅ぼして中国を統一。一二七一年、国名を元(げん)に改めました。中国の歴史上、初めての異民族支配です。

元はラマ教を国教としましたが、仏教、儒教、道教、イスラム教、キリスト教など、他の宗教も容認。

仏教においては、南方で臨済宗、北方で曹洞宗が拡がりました。

臨済宗では海雲印簡(かいうんいんかん)、曹洞宗では万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)などの名僧が有名です。

遼の王族であった耶律楚材(やりつそざい)は万松行秀に師事し、皇帝の政治顧問も務めました。

民間信仰とも結びき、念仏結社の白蓮宗(びゃくれんしゅう)、儒教・道教との一致を唱える白雲宗(はくうんしゅう)なども庶民に支持されました。

明の庶民仏教

元の末期、天災や飢饉に見舞われ、世相が悪化する中で、紅巾賊(こうきんぞく)と呼ばれた白蓮教徒の乱が起きました。

その中のひとりが皇覚寺(こうかくじ)の僧、朱元璋(しゅげんしょう)。一三六八年、朱元璋は元を破って中国を統一。明の太祖となりました。

太祖は仏教を保護する一方で、寺を国の統治機関として活用しました。

寺を、坐禅をする禅寺(ぜんじ)、経典を学ぶ講寺(こうじ)、法事を行う教寺(きょうじ)に分け、教寺以外は庶民と接することを禁じました。

そのため、庶民の間に葬式や法事の儀式が普及。明の仏教は庶民仏教と言えます。

現世利益を求める傾向が強まるとともに、観音信仰、念仏会(ねんぶつえ)、放生会(ほうじょえ)などの儀式も拡がり、中国人の仏教が確立した時代です。

清の居士仏教

再び北で脅威が高まります。一六一六年、女真族のヌルハチが満州を統一。

一六四四年、都を北京に移して清を建て、太祖となりました。元に続いて、二度目の異民族による中国支配です。

清は明の宗教政策を真似、仏教や寺を庶民の管理統制に活用しました。

四代目の康煕帝(こうきてい)、六代目の乾隆帝(けんりゅうてい)は仏教を崇拝。

しかし、乾隆帝は仏教を尊ぶ一方で、社会から隔離。仏教は在家信者による居士(こじ)仏教という独特のかたちに変わっていきます。

清も末期になると、アヘン戦争(一八四〇年)、太平天国の乱(一八五〇年)、日清戦争(一八九四年)などが勃発。

寺の財産を没収して学校を建てる廟産興学(びょうさんこうがく)にも直面し、中国仏教が多難を極める中、清が滅びて一九一二年に中華民国、一九四九年に中華人民共和国が誕生して今日に至っています。

朝鮮半島の仏教

時代は再び遡り、中国から朝鮮半島に仏教が伝来したのは三七二年。高句麗、新羅、百済に伝わった仏教はやがて日本に渡ります。

来月は朝鮮半島の仏教。そして今年最後の十二月は日本への仏教伝来です。乞うご期待。