皆さん、こんにちは。仏教伝来がテーマの今年のかわら版。今月は唐の時代に確立し、やがて日本の弘法大師空海に引き継がれた密教についてです。
善無畏と金剛智
インドで誕生し、唐に伝わった密教。大日経(だいにちきょう)と金剛頂経(こんごうちょうきょう)というふたつの経が基本です。
密教を広めるために西域から唐に渡った善無畏(ぜんむい)。インド中部のオリッサの国王でしたが、八十歳の時に長安に到着。
玄宗皇帝(げんそうこうてい)に歓待され、弟子の一行(いちぎょう)とともに大日経を翻訳しました。
インドからスリランカ経由で海路唐に渡った金剛智(こんごうち)が翻訳したのは金剛頂経。
弟子の不空(ふくう)に加え、善無畏の弟子の一行も手伝ったそうです。
不空は玄宗皇帝を継いだ粛宗(しゅくそう)、その次の代宗(だいそう)に師とあがめられ、密教は唐で盛えました。
恵果と空海
密教の世界観を絵で表現したのが曼荼羅(まんだら)。
大日経に基づいて真理の世界を表す胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅、金剛頂経に基づいて修行の世界を表す金剛界(こんごうかい)曼荼羅です。
不空の弟子が恵果(けいか)。善無畏の弟子玄超(げんちょう)にも師事したことで、胎蔵界、金剛界の教えが恵果の中で合流しました。
七四六年生まれの恵果は八〇六年に入滅。八〇五年に日本から唐に渡った空海が最晩年の恵果に師事。
恵果は三千人の弟子を差し置いて、日本から来た新参者の空海を密教の後継者に指名します。
その後、密教は空海によって日本で体系化されますが、恵果と空海の師弟関係はわずか半年。摩訶不思議な歴史の妙を感じます。
五代十国時代と宋
九〇七年、唐は後梁(こうりょう)の朱全忠(しゅぜんちゅう)に滅ぼされ、中国の統一は崩壊。
華北で五王朝、江南で十国が興亡を繰り返す五代十国時代となりました。この時代、華北では仏教が弾圧される一方、江南では仏教が大切にされ、仏教文化が花開きました。
やがて、華北後周の趙匡胤(ちょうきょういん=太祖)が宋を建国。九六〇年、二代目太宗が中国を再統一しました。
趙匡胤、太宗は華北での仏教弾圧が民心を荒廃させていることを憂い、仏教復興に注力。
中国に渡来するインド僧も再び増え、唐代以来途絶えていた訳経(経の翻訳)も復活。
九八三年、五千四十八巻の大蔵経が印刷されました。大蔵経とはあらゆる経を集大成した全集であり、別名一切経。この時作られた大蔵経は、その後の仏教の普及にたいへん役立ちました。
五代十国時代の初頭、華北より北の東北で契丹(きったん)族が遼(りょう)を建国。続いて、女真(じょしん)族が金(きん)を建国。
金の南下によって、宋は都を華北の開封から江南の杭州に移転。開封時代を北宋、杭州時代を南宋と言います。
禅寺・講寺・教寺
南宋は元に滅ぼされ、やがて僧出身の朱元璋(しゅげんしょう)が明を建国。
朱元璋は禅寺・講寺・教寺制度を始め、寺院を統治機関として活用します。
来月は中国編の最終回。元・明・清時代の仏教をお伝えします。乞うご期待。