皆さん、こんにちは。仏教伝来がテーマの今年のかわら版。今月は仏教全盛期の隋唐時代です。
仏身常住と悉有仏性
先月号では魏晋南北朝時代(二二〇年~五八九年)に仏教が中国に根づいたことをお伝えしました。
北朝(華北)の北涼(ほくりょう)時代に西域から涅槃経(ねはんぎょう)が伝わり、仏様は永遠に存在して衆生を導くという仏身常住(ぶっしんじょうじゅう)、あらゆるものに仏になる可能性が宿るという悉有仏性(しつうぶっしょう)の考え方が伝わりました。
続く北魏(ほくぎ)時代、道教の影響を受けた太武帝が仏教を弾圧。僧を殺し、経典を焼き、仏像や寺を破壊し尽くしました。
太武帝が亡くなると今度は仏教復興運動が起こります。仏教者は破壊されない仏像を求めて雲崗石窟(うんこうせっくつ)をつくりました。
隋の文帝(楊堅)
北魏はやがて東の北斉と西の北周に分裂。北周の武帝は再び仏教を弾圧。
武帝の息子宣帝(せんてい)は楊堅(ようけん)の娘を妃とします。宣帝の息子静帝(せいてい)は仏教復興を宣言。仏教再生はここから本格化します。
静帝が亡くなると、母親の父、つまり祖父である楊堅が文帝として即位。文帝は南朝(江南)の陳を併合して中国を統一。五八九年、隋を建国しました。
隋は六一八年までの短命国でしたが、文帝と五人の子供たちは熱心な仏教徒となって仏教を保護。
隋の時代、二十三万人が僧になり、三千七百九十二寺が建立されました。
天台大師智顗と法華経
南北朝末期から隋の時代に活躍したのが天台大師智顗(ちぎ)。
智顗はお釈迦様が教化活動をした五十年間を五つの時期に分け、その間に説いた八つの経のうち法華経が最も優れているとする五時八経説を唱えました。
その教えは、のちに日本から中国に渡った伝教大師最澄に影響を与え、最澄は日本で天台宗を興します。
同じ頃、仏様の住む浄土(仏国土)に生まれ変わることを願う浄土信仰も広がりました。
中でも、阿弥陀仏の住む極楽浄土信仰が庶民に浸透。凡夫は自力で救われることは無理なので、阿弥陀仏の力=他力にすがるしかないとして南無阿弥陀仏を唱える口称念仏(くしょうねんぶつ)が庶民の心をつかみました。
玄奘と義浄
六一八年、隋が滅びて唐が誕生。中国仏教は全盛期を迎え、朝鮮半島や日本にも影響を与えます。
この時代の最も有名な高僧が玄奘(げんじょう)。西遊記の三蔵法師のモデルです。
六二九年、玄奘はインドを目指して出国。サンスクリット語の経典六百五十七部を携え、六四五年に長安に帰りました。
唐の二代皇帝太宗は玄奘に旅行記を書くことを命じ、大唐西域記(だいとうさいいきき)がまとめられました。
太宗を継いだ高宗の妃、則天武后(そくてんぶこう)の庇護の下、玄奘は大般若教六百巻の翻訳などの偉業をなして生涯を閉じます。
玄奘が陸路インドを目指したのに対し、同じ頃、海路インドに向かったのが義浄(ぎじょう)。
義浄も多くの経典を持ち帰り、則天武后の庇護の下、南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)という旅行記をまとめました。
密教の台頭と弘法大師空海
玄奘や義浄は中国からインドに向かいましたが、逆にインドから中国にやってきて密教を伝えたのが不空(ふくう)や善無畏(ぜんむい)。そして、密教は日本から来た弘法大師空海に引き継がれます。来月は密教のお話です。乞う、ご期待。