皆さん、こんにちは。仏教伝来をお伝えしている今年のかわら版。今月はいよいよ中国ルート。インドから北西のシルクロード、そして中国に伝わった第三のルートです。
世界四大文明
世界四大文明と言えば、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河。これに、アメリカ大陸のメソアメリカ(後のマヤ)、アンデス(後のインカ)を加えて六大文明と呼ぶこともあります。
インドから中国に伝わった仏教。インダス文明と黄河文明の架け橋とも言えます。
中国の歴史は古く、紀元前二千年頃には早くも夏という国が誕生。その後、殷、周を経て、晋を中心とした春秋時代、韓・魏・趙が争った戦国時代、そして紀元前二二一年の秦の始皇帝による中国統一に至ります。
秦はわずか十年余りで衰退し、その後を争ったのが有名な項羽と劉邦。勝った劉邦によって紀元前二〇六年に建国されたのが前漢。都は長安です。
中国への仏教伝来はこの前漢時代から始まります。
武帝と張騫
前漢の全盛期は第七代武帝(紀元前一四一年~同八七年)の時代。この頃、前漢は西から侵入する遊牧民族の匈奴に悩まされていました。
匈奴のさらに西域に月氏という国があることを知った武帝。月氏と同盟を結んで匈奴を挟み撃ちにすることを考えました。
そこで臣下の張騫(ちょうけん)に月氏に行くことを命令。しかし、匈奴の支配地域を通らないと月氏には行けないことから命がけの使命です。
案の定、張騫は匈奴に捕まり、十年間の捕虜生活。それでも匈奴から逃げ、シルクロードを通って西域の月氏に到着。しかし、同盟締結には失敗し、張騫は失意のうちに帰国します。
その張騫が武帝に「天竺(インド)に仏法あり」と報告。月氏はインドの北西に位置していたことから、仏教が伝わっていたようです。
また、張騫は「西域に汗血馬(かんけつば)あり」とも報告。背丈が高く、屈強な汗血馬。武帝は強力な騎馬軍団をつくるために汗血馬を欲し、その後、何度も西域に遠征。このことが西域と中国の交流を深め、中国への仏教伝来につながっていきました。
摂摩騰と竺法蘭
前漢が滅び、西暦(紀元)二五年、後漢が誕生します。
第二代明帝(西暦五七年~同七五年)は仏の夢を見たことから、臣下を西域に派遣して僧を招き入れました。それが摂摩騰(しょうまとう)です。別名迦葉摩騰(かしょうまとう)とも言われます。
摂摩騰は四十二章経を中国語に翻訳し、初めて正式に仏教を伝えたと言われています。
明帝の時代に、もうひとりの僧がやってきます。竺法蘭(じくほうらん)です。竺法蘭の話にもとづいて、明帝は仏画を描かせました。
後漢の都は洛陽。中国最古の白馬寺というお寺があります。摂摩騰と竺法蘭が洛陽にやってきた時に白馬に乗ってきたことに由来します。白馬寺の山門には今でも摂摩騰と竺法蘭のお墓が現存しています。
こうして中国には一世紀頃に仏教が伝来。日本に仏教が伝わる約四百年前です。
訳経僧の活躍
その後、多くの西域僧が中国に入り、インドの経典を中国語に翻訳。こうした僧たちを訳経僧(やっきょうそう)と言います。
来月は訳経僧の活躍と三国時代の仏教をお伝えします。乞ご期待。