【第94号】仏教伝来4(第ニのルート、インドから北上してネパールへ)

皆さん、こんにちは。四月八日の花祭り(お釈迦様の誕生日)も終わり、春本番ですね。仏教伝来をお伝えしている今年のかわら版。今月はチベット仏教です。

ソンツェンガンポ王

仏教伝来の第二ルートは、インドから北上してネパールに向かいました。

七世紀、ネパールの北に位置するチベットに有能なソンツェンガンポ王が登場して国が繁栄しました。

王は、南はネパール、東は中国にまで侵攻。ネパールはブリクチという女性を、中国は文成公主(ぶんせいこうしゅ)という女性を和睦のために妃として王に嫁がせました。

ブリクチも文成公主も熱心な仏教徒。ふたりが嫁いだのを契機にチベットにインド系(ネパール系)と中国系のふたつの仏教が伝わりました。

ボン教とラマ教

チベットにもともとあった民族宗教はボン教。日本で言えば神道のようなものです。

仏教伝来後もボン教も信仰されたことから、チベットでは、インド系仏教、中国系仏教、ボン教が混交して独特の仏教を形成しました。

チベットでは僧のことをラマと言うことから、チベット仏教はラマ教と呼ばれるようになりました。

前伝期と後伝期

八世紀になると、インドからシャーンタクシラという高僧が招かれ、仏教が国教となりました。

ところが八四一年、当時のレパチェン王がボン教徒である弟のランダルマに殺され、王位を奪われます。

ランダルマは、仏像や寺院を壊し、僧を殺し、徹底的に仏教を弾圧。しかし、五年後にはランダルマも仏教徒に暗殺されて王朝は滅亡、仏教も乱れました。

チベット仏教は、そのランダルマまでの時代を前伝期と呼びます。

十一世紀になると、再びインドからアティーシャという高僧が招かれ、仏教改革に取り組みます。以後の仏教復興の時代が後伝期です。

チンギスハーンとダライラマ

十三世紀、北の隣国モンゴルにチンギスハーン(太祖)が登場。東西に大遠征を行い、フビライハーン(世祖)の時代に元という大帝国が誕生しました。

チベットも元に従いましたが、チベット仏教僧パスパがフビライに仏教を教示。感動したフビライはパスパを国師として迎え、仏教の統括権を与え、チベットは独立国として命脈を保ちます。

十四世紀、高僧ツォンカパが現れ、チベット仏教をさらに発展させました。

ツォンカパには子供がなく、輪廻転生(りんねてんしょう)で他人に生まれ変わると信じられました。

元のアルタンハーンは、ツォンカパの生まれ変わりソナムギャツォにダライラマという称号を授与。大いなる海ラマという意味です。

第五代ダライラマのガワンロサンギャツォの時、元のグシハーンからチベットの統治権が与えられ、以後、チベットは歴代のダライラマに委ねられました。

一六四八年、首都ラサにポタラ宮が完成。ポタラは観音様の浄土という意味。チベットの人々は、自国を観音様の浄土、ダライラマを観音様の化身と信じています。

現在のダライラマは第十四代のテンジンギャツォ。中国のチベット侵攻によって一九五九年にインドに亡命。今日に至っています。

その間の事情は、ブラッドピット主演の映画セブンイヤーズ・イン・チベットに描かれています。

シルクロード、中国の仏教

来月はインドから北西のシルクロード、そして中国に伝わった第三のルートです。乞ご期待。