【第92号】仏教伝来2(大乗仏教と小乗仏教の違い)

皆さん、こんにちは。仏教伝来をお伝えしている今年のかわら版。今月は大乗仏教と小乗仏教の違い、そしてインド仏教の顛末についてです。

上座部仏教と自利

インドでの仏教は、紀元前三世紀のアショーカ王時代に全土に普及。

この頃のインドは経済発展期。王侯貴族や長者と呼ばれる大商人が隆盛を極めました。

極端な教義に走らず、解脱、中道、平和を説く上座部仏教(部派仏教)は、そうした上流階級に庇護されました。

僧たちは精舎(僧院)にこもり、アビダルマという仏教理論の構築に没頭。修行僧が目指したのは自らの解脱。煩悩を断って阿羅漢(あらかん)になることを目的としていました。

部派仏教の僧たちのように、自己の悟りを求めることを自利(じり)と言います。

大乗仏教と利他

一方、他人を救済することを利他(りた)と言います。

お釈迦様は利他を求めたはずであるという考え方から生まれたのが大乗仏教。「大きな乗り物を用意してみんなで悟りの彼岸に渡る」という意味です。

大乗仏教の僧たちは、上座部仏教を「小さな乗り物で自分だけが悟りの彼岸に渡る」という意味を込めて小乗仏教と揶揄しました。

上座部仏教の自利、大乗仏教の利他。自利と利他は仏教の車の両輪です。

余談ですが、徳川家康の旗印は上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)。

上求菩提は自分の悟りを求める意味で自利、下化衆生は大衆を救うことで利他を意味します。

菩薩と仏性

自利と利他は相反する考え方ではありません。自利(悟り)は利他の精神と実践があってこそ、初めて実現するという関係です。

悟りを求める人は菩薩(ぼさつ)と呼ばれます。自利と利他を理解して悟りを求める人は誰でも菩薩です。

誰もが悟りを得て仏になれるというのが大乗仏教の考え方です。そして、人だけでなく、万物全てが仏になれる可能性のことを仏性(ぶっしょう)と言います。

ここから、一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という大乗仏教特有の考え方が生まれました。

インド仏教の消滅

インドでの大乗仏教の歴史は三期に分けられます。

初期は紀元前後から三世紀頃まで。この時期、般若経、華厳経、法華経、浄土三部経などの主要な経典が編纂されました。

ナーガールジュナ、中国や日本で竜樹(りゅうじゅ)と呼ばれる高僧が登場し、約百年間の中期に入ります。

四世紀から八世紀頃までが後期。この間、中国から玄奘三蔵がインドに渡り、般若経などを持ち帰ります。また、後に弘法大師に受け継がれる密教が誕生したのもこの時代です。

八世紀以降、仏教はヒンズー教と徐々に融合。その傾向に拍車をかけたのがイスラム勢力のインド侵入。

十三世紀に登場したハルジー王は密教寺院を破壊し、僧を殺害。生き残った僧はネパールやチベットに逃げ、インド仏教は完全に姿を消しました。

インドから出た仏教

いよいよ仏教はインドから外国に渡ります。来月は、スリランカ、東南アジア、チベットに伝わった仏教の動きをお伝えします。乞ご期待。