皆さん、こんにちは。早いものでもうすぐ師走。寒さも厳しくなりますのでくれぐれもご自愛ください。お釈迦様の生涯をお伝えしている今年のかわら版。今月は第二結集(だいにけちじゅう)です。
サンガの誕生
「経」「律」「論」の「三蔵」がまとまり、仏教教団の基盤が確立。お釈迦様入滅時に数千人と言われた弟子の数も増え続け、サンガが誕生しました。
サンガとは「集まり」というような意味のサンスクリット語。中国では僧伽(そうぎゃ)と表記。ここから最初の文字をとって「僧」という言葉も定着しました。
お釈迦様入滅は紀元前三八三年。サンガは発展を続けましたが、約百年後、再び大きな転機が訪れます。アショーカ王が登場するマウリヤ朝の時代です。
第二結集(だいにけちじゅう)
百年もたてば社会も大きく変化。仏教教団の規則、すなわち「律」にも時代にそぐわない面が出てきました。
「律」には十本の柱があり「十事」と呼ばれていました。これらに現実的な改革を行うかどうかが争点となったのです。
例えば「金銭の布施は受けてはならない」という「律」。貨幣経済が発展したために、修行僧が出家遊行するにしても、渡し船に乗るなど折々に多少の現金を持ち合わせていないと不便なこともあるという具合です。
そこで、ヴァッジ国のヴァイシャーリーで第二結集が開かれました。
根本分裂と枝末分裂
第二結集では「律」を緩和したい改革派と「律」の維持強化を主張する保守派が対立。
改革派は貨幣経済が発達した商業都市の多い北インドが中心。一方、保守派はインド中部や南インドが中心。
インド中南部はバラモン教やジャイナ教の勢力が強く、「律」を強化することで仏教教団の結束を固めたいという背景もあったようです。
第二結集では保守派の主張が通り、それを不服とする改革派は大衆部(だいじゅぶ)を結成。一方、保守派は上座部(じょうざぶ)を名乗り、ここに仏教教団は根本分裂(こんぽんぶんれつ)することになりました。
その後の数百年の間にさらに分裂を繰り返し、大衆部は九、上座部は十二に分かれます。これを枝末分裂(しまつぶんれつ)と言います。
「すべては移ろいゆく」というのがお釈迦様の教え。諸行無常の摂理に従い、それぞれが仏法を追求していったと考えるべきでしょう。以後数百年間は部派仏教の時代となりました。
八大聖地
仏舎利塔やお釈迦様ゆかりの地は聖地として信仰の対象となりました。
生誕地ルンビニー、成道地ブッダガヤー、初転法輪地サーナルート、涅槃地クシナガラが四大聖地。
これに、霊鷲山(りょうじゅせん)のあるラージャグリハ、模範的都市としてお釈迦様が一目置いたヴァイシャーリー、祇園精舎の所在地シュラヴァスティー、降臨伝説のあるサンカーシャを加えると八大聖地。
その後、インドではヒンズー教やイスラム教が台頭し、十三世紀頃には仏教が姿を消していきました。今日、インドにおける仏教とは国民の一%未満になっています。
お釈迦様の教え
お釈迦様の生涯をお伝えしてきた今年のかわら版。最終回の来月はお釈迦様の教えをお伝えします。乞うご期待。