【第86号】お釈迦様の生涯8(お釈迦様の晩年)

皆さん、こんにちは。まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。さて、お釈迦様の生涯をお伝えしている今年のかわら版。今月はお釈迦様の晩年をお伝えします。

デーヴァダッタの離反

お釈迦様は多くの弟子と帰依者に恵まれましたが、晩年には辛い出来事にも遭遇しました。

高弟のひとり、デーヴァダッタ(提婆達多=だいばだった)はお釈迦様の従兄弟。教団に厳格な戒律を定めるように提案しましたが、中庸を旨とするお釈迦様は進言を受け入れませんでした。

デーヴァダッタは教団を離れ、別の一派を形成。お釈迦様の地位を狙っていたという言い伝えもあります。

また、デーヴァダッタがマガダ国の王子をそそのかし、ビンビサーラ王を幽閉させて王位を奪わせたと記している経典もあります。

お釈迦様は人間の性(さが)に直面し、心寂しかったことでしょう。

シャークヤ国の滅亡

お釈迦様に帰依したコーサラ国のプラセーナジット王は、お釈迦様の故郷シャークヤ国から妃を迎えることを熱望しました。

当時、シャークヤ国はコーサラ国に従う立場。そのため、シャークヤ国は王姫が嫁ぐことを無理強いされているように感じ、王族と召使の間に生まれた娘を王姫と偽って嫁がせたそうです。

その妃とプラセーナジット王の間にヴィルーダカ王子が誕生。

王子が母の実家であるシャークヤ国を訪ねた際に「召使の子」と言われて辱めを受け、シャークヤ国を恨むようになりました。

ヴィルーダカは長じて父王を追放し、シャークヤ国に何度も攻め入ります。お釈迦様は三度にわたってヴィルーダカを説得して戦争を回避させました。

しかし四度目にはヴィルーダカはお釈迦様の説得を聞き入れず、シャークヤ国は滅亡。

お釈迦様も諸行無常の現実を受け入れざるを得ませんでした。

高弟との死別

お釈迦様には十大弟子と言われた十人の高弟が師事。それぞれ最も優れた特長を冠して「○○第一」と称していました。

十人の中でも二大高弟として一目置かれたのは、智慧第一のシャーリプトラ=舎利弗(しゃりほつ)と、神通第一のマウドガルヤーヤナ=目健連(もくけんれん)。

二人はお釈迦様に代わって説法を行うほどの高弟で、リーダーとして教団を牽引していました。

しかし、シャーリプトラは赤痢にかかって他界。マウドガルヤーヤナは暴漢の凶刃に倒れてしまいます。

教団のお手本

八十歳になったお釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)という山に滞在していた折、お釈迦様に帰依するマガダ国の使者がやって来ました。

使者が「ヴァッジ国を攻めてもよいか」と教えを乞うたところ、お釈迦様は「かの国は話し合いと協力の精神を重んじ、法に従い、父母や女性、子供を大切にし、祖先を敬う模範的な国である」として使者を諫めました。

ヴァッジ国は仏教教団のお手本だったとも言われています。

お釈迦様の入滅

お釈迦様もいよいよご高齢。来月はお釈迦様の入滅をお伝えします。乞ご期待