【第85号】お釈迦様の生涯7(弟子=四衆(ししゅ))

皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番です。くれぐれもご自愛ください。さて、お釈迦様の生涯をお伝えしている今年のかわら版。先月に続いて今月も続々と誕生するお釈迦様の弟子=四衆(ししゅ)をご紹介します。

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

六十一人の阿羅漢(あらかん)が誕生した後、お釈迦様はマガダ国に向いました。

道中、カーシャパ三兄弟に出会います。火神を祭り、蛇を操って街道を支配。事火外道(じかげどう)と呼ばれて恐れられていました。

三兄弟と神通力を競い合って打ち負かしたため、三兄弟に従っていた千人の配下がお釈迦様の弟子となりました。

マガダ国に着くと、ビンビサーラ王もお釈迦様を歓待。帰依するとともに、郊外の竹林に修行所を寄進。初めての寺院=竹林精舎が誕生しました。

ラージャグリハの高弟

マガダ国の都ラージャグリハで、お釈迦様は後に高弟となる多くの人々と出会います。

都に住んでいたカーシャパ族のピッパリ。お釈迦様の気高さに感服して弟子入り。マハーカーシャパと呼ばれ、後に仏教教団を継承します。

都近郊の村に住むサンジャヤという哲学者の二人の高弟、シャーリプトラとマウドガルヤーヤナ。自分たちが指導する五百人の弟子たちと一緒にお釈迦様に帰依しました。サンジャヤは大いに悔しがったそうです。

漢訳経典では、マハーカーシャパは摩訶迦葉(まかかしょう)、シャーリプトラは舎利弗(しゃりほつ)、マウドガルヤーヤナは目健連(もくけんれん)と呼ばれています。

尼僧のルーツ

その後、お釈迦様は故郷シャークヤ国の都カピラヴァスツに里帰り。

父であるシュッドーダナ王が帰依したことから、シャークヤ国の多くの青年も出家。その中には、お釈迦様の侍者となるアーナンダ(阿難=あなん)、義弟のナンダ(難陀)、息子のラーフラ(羅候羅=らごら)、従兄弟のデーヴァダッタ(提婆達多=だいばだった)、床屋のウパーリ(憂波離)などが含まれます。デーヴァダッタは後にお釈迦様に背くことになります。

義母のマハープラジャーパティ、妻のヤショーダラーもお釈迦様に懇願して出家。ここに初めて尼僧のルーツが誕生しました。

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)

コーサラ国では王妃のマッリカーが熱心な仏教信者となり、王妃の勧めでプラセーナジット王も帰依。

また、同国の長者スダッタは、都のシュラーヴァスティにお釈迦様を招くために祗園精舎を建てて寄進しました。修行者となる僧、尼僧だけでなく、こうして在家信者も増えていきました。僧、尼僧、男性信者、女性信者を四衆(ししゅ)と言います。

また、在家は出家に対する言葉。出家しないで俗世で暮らすことを表します。

信者も増え、教団も大きくなりましたが、お釈迦様をはじめとする高僧は三衣一鉢(さんねいっぱつ)、つまり、三種の衣と鉢一つだけを持って修行を続けていたそうです。

お釈迦様の晩年

お釈迦様にも辛いことはありました。来月はお釈迦様の晩年をお伝えします。乞ご期待。