【第83号】お釈迦様の生涯5(悟りの境地)

皆さん、こんにちは。新緑がまぶしい季節になりました。さて、お釈迦様の生涯をお伝えしている今年のかわら版。今月はいよいよお釈迦様が悟りの境地に達します。

中道(ちゅうどう)

五人の沙門と一緒に行ったブラークボーディ=前正覚山(ぜんしょうがくさん)での修行は六年に及びました。

お釈迦様の取り組んだ苦行は断食が中心。一日に穀物一粒だけを食べて瞑想を続けたお釈迦様。

やがて骨と皮だけの痩せたからだになり、五人の沙門はお釈迦様が死んでしまったと思ったことが何度もあったそうです。

しかし、お釈迦様は「苦行では悟りを得ることはできない」と感得し、やがて山を下ります。それを知った五人の沙門は「シッダールタ(お釈迦様)は堕落して修行を止めた」と非難しましたが、それは違います。

お釈迦様は、王子時代の快楽に満ちた生活からも、身を滅ぼすような苦行からも、悟りの境地は得られないと気づき、中道の大切さを理解したのです。

スジャーター

下山したお釈迦様は、ふもとのナイランジャナー河(尼連禅河=にれんぜんが)で身を清め、からだを癒しました。

その姿を、スジャーターという名前の里の娘が見ていました。スジャーターはお釈迦様の神々しさに思わず手を合わせて拝みました。

スジャーターは持っていた乳粥(ちちがゆ)をお釈迦様に差し出しました。お釈迦様はこの乳粥をありがたく頂戴し、体力を回復したそうです。

やがて、お釈迦様は近くにあったアシヴァッタという大きな樹の下に行き、坐禅を組んで瞑想を始めました。

三十五歳の十二月八日

瞑想に入ったお釈迦様は人間や自然や宇宙の本質について沈思黙考。

瞑想の中でお釈迦様は自らの欲望や葛藤と戦い、やがてそれを制御する力を身につけたそうです。

アシヴァッタの下で坐禅を始めて七日目、明けの明星が輝く時刻に、お釈迦様はついに万物の真理を悟り、ブッダとなりました。時にお釈迦様三十五歳の十二月八日です。

ブッダとはサンスクリット語で「目覚める」という意味。目覚めた真理の王ということから「覚王」がお釈迦様の別名となります。

また、悟りのことはサンスクリット語で「ボーディ」、漢字で「菩提(ぼだい)」と書きます。お釈迦様が悟りを開いたために、アシヴァッタの樹は「菩提樹」と呼ばれるようになりました。

ブッダ=仏陀

真理に目覚めた人は皆ブッダです。お釈迦様から始まった仏教は、誰もがブッダを目指す教えと言えます。お釈迦様ではなくても、誰もが悟りを開いてブッダになれるのが仏教です。

もちろん、そのためには深く自分の内面を見つめ、自らの欲望や葛藤を制御するために熟考しなくてはなりません。

ブッダという言葉は中国に伝わって漢字で「仏陀」と記されました。「陀」を省略すると「仏」。それを訓読みして日本では「ほとけ」と言われるようになりました。

弟子の誕生

お釈迦様が悟りを開いた十二月八日には成道会(じょうどうえ)を開いてお寺でお祝いします。成道は成仏得道(じょうぶつとくどう)の略。悟りを開いて仏陀になることを意味します。

弘法大師が悟りを開いた時も明けの明星が口に飛び込んだと言い伝えられています。ここでもお釈迦様と共通点がありますね。

来月はお釈迦様が悟りの境地を説法して弟子が誕生します。乞ご期待。