【第77号】弘法大師の生涯11(空海の教え)

皆さん、こんにちは。日に日に寒さが増す今日この頃。くれぐれもご自愛ください。弘法大師の生涯をお伝えしている今年のかわら版。今月は空海の教えです。

医王の目には皆薬なり

空海が厳しい修行の末に到達した境地を簡単に理解できるわけではありません。しかし、空海が残した言葉から、その趣を少しは感じ入ることができるかもしれません。

たとえば、宗派を超えて親しまれている般若心経を空海が解説した著作、弘仁九年(八一八年)の般若心経秘鍵(ひけん)では次のように述べています。

医王の目には途に触れて皆薬なり
解宝の人は鉱石を宝と見る
知ると知らざると何誰か罪過ぞ

優れた医者は道ばたの草も薬として活用できる。宝石の専門家は、原石から宝石を見つける。物事を理解できるかどうかは本人次第である。このような意味だと思います。迷うも自分、悟るも自分。自分のことを見つめ直すのが仏法の教えということでしょう。

物の興廃は必ず人に由る

日本で初めての庶民の学校として空海が開創した綜芸種智院。空海は自らが理想とする学校の学則を書き記しました。それが天長五年(八二八年)の「綜芸種智院式並に序(しゅげいしゅちいんのしきならびにじょ)」。教育方針を述べた冒頭部分は次のようになっています。

物の興廃は必ず人に由る
人の昇沈は定めて道に在り

物事が盛んになるか廃れるかは、それに関わる人次第。人が何かに成功するか失敗するかは、それを行う方法次第。人の生き方を追求した空海らしい一文に感銘を受けます。

遠からざるは我が心なり

天長四年(八二七年)、淳和天皇の異母兄である伊予親王逝去に際して、供養のために次のような願文を撰述。

遠くして遠からざるは
即ち我が心なり
絶えて絶えざるは
是れ我が性なり

遠いと思っていても、意外に近いのが自分の心。縁を絶ったと思っていても、なかなか離れないのが自分の本性。何かにつけて、ことの原因は自分自身の心や本性によるもの。そのようなことを教えてくださっているようです。

我が願いも尽きん

天長九年(八三二年)、晩年になって、空海は初めて高野山で法要を行いました。人々の安寧を願う万燈会(まんどうえ)です。その折の願文で次のように述べました。

虚空尽き衆生尽き
涅槃尽きなば
我が願いも尽きん

宇宙、人々、悟り。これらが全てなくなってしまえば、私の願いもなくなる。しかし、これらは無限、無尽に存在するので、私の願いも永遠に尽きない。空海は、人々が自らの仏性に気づき、それぞれが安寧の境地に達することを願っていました。そのことが社会全体の平穏にもつながることから、空海は永遠に人々を導き続けます。

自らの内面と向き合うこと

空海の遺した言葉から、自らの内面と向き合うことが仏法の教えということを学ばせて頂きました。
弘法大師の生涯をお伝えしている今年のかわら版。来月は締めくくりとして、仏教の歴史における空海の位置づけを確認しておきたいと思います。乞う、ご期待。