皆さん、こんにちは。今年もあとひと月あまり。早いですね。朝晩の冷え込みも厳しくなりました。くれぐれもご自愛ください。さて、覚王山周辺の名刹をご紹介しております今年のかわら版。今月は浄土宗の西蓮寺です。
阿弥陀如来のお迎え=来迎引接
西蓮寺は日泰寺の東側にあり、5月号でご紹介しました台観寺の隣です。
山号、院号は引接山来迎院(いんじゅうさんらいごういん)。ご本尊は阿弥陀如来です。
仏教では、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至(せいし)菩薩の阿弥陀三尊が二十五菩薩を従え、新仏を極楽浄土の彼方から迎えに来ることを来迎引接(らいごういんじゅう)と言うそうです。
引接寺という寺号は全国各地にありますが、山号に引接が使われているのは珍しいですね。
弘法堂と弘法大師尊像
西蓮寺は寛政10年(1798年)、愛知県丹羽郡に釈迦堂として創建。明治38年(1905年)に京都西蓮寺と合併し、大正5年(1916年)に覚王山に移転しました。現在は、浄土宗七大本山のひとつ、京都清浄華院の末寺となっています。
境内に池ノ端弘法堂や朱塗りの極楽橋が造営され、弘法堂には明治42年、高野山金剛峯寺において開眼された弘法大師尊像が祀られました。
姫ヶ池と放生池
池ノ端弘法堂というぐらいですから、池が関係しています。西連寺周辺にはその昔、三つの池があり、そのひとつが姫ヶ池。現在の松坂屋ストア辺りに昭和4年までありました。
戦国時代、敵勢に追われた織田家末森城(現在の城山神社)の姫たちが逃げ場を失って池に身を投げたとも伝えられています。西蓮寺の池の中には姫池地蔵が祀られ、子宝・子育て信仰の対象となっています。
姫ヶ池の北(現在の奉安塔付近)にあったのが西どろあき池と東どろあき池。幕末には、西泥目池、東泥目池と呼ばれたそうです。
その後、西どろあき池は日泰寺の放生会(ほうじょうえ)に使われたことから放生池と呼ばれ、子どもの遊び場となりました(筆者もよく遊んでいました)が昭和58年に埋め立てられました。
放生とは捕らえた魚や鳥を逃がしてやること。人間は日頃の生活で多くの殺生を行っていることから、功徳を積む意味で放生という考え方が生まれました。起源は中国。日本では天武天皇の命で始まりました。
難行と易行
西蓮寺のご本尊である阿弥陀信仰を説いたのが浄土教。浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を経典とします。
厳しい修行を積んで悟りに至ることを難行(なんぎょう)と言うのに対し、浄土教では阿弥陀さまを信仰し、南無阿弥陀仏と唱えれば救われるという易行(いぎょう)を推奨。難行のできない庶民に広まりました。
日本では、法然上人の開いた浄土宗、その弟子である親鸞聖人の開いた浄土真宗、孫弟子の一遍上人の開いた時宗などが浄土教にあたります。
明後日の「弘法さんを語る会」(詳細は裏面)の会場も浄土宗の専修院。弘法大師は真言宗ですが、もとを辿ればどの宗派もお釈迦さまの教えから誕生。専修院にも弘法大師像が祀られており、仏教はひとつであることを感じさせられます。興味深いですね。
次回は松林寺
来月は日泰寺の南西にある曹洞宗の松林寺。本堂は千種区内最古の木造建築物と言われています。乞う、ご期待。