皆さん、こんにちは。朝晩は肌寒くなってきました。くれぐれもご自愛ください。さて、今年のかわら版は覚王山周辺の名刹をご紹介しています。今月は曹洞宗の黄梅山正法寺です。
尼僧学林のある正法寺
日泰寺の東側、城山八幡宮の北側に位置する正法寺は、尼僧学林(尼僧堂)があることで知られています。
尼僧学林は、明治36年、尼僧教育の指導者、水野常倫師の提唱で春日井市の香林寺(薬師堂)に誕生。厳しい修行が宗門に認められ、明治38年に関西尼学林と称して正式な尼僧教育の場となりました。
大正元年、尼学林に感銘した梅本金三郎氏の篤志で名古屋市北区に移転。昭和20年、名古屋大空襲で焼失し、福巌寺(小牧市)、乾徳寺(中区)に寄留。昭和22年、学監の堀徳応師が住職を務めていた正法寺に移転。その後、高等尼学林、愛知専門尼僧堂、特別尼僧堂と名称を継いで今日に至り、現在の堂長は青山俊薫師。
一方、正法寺は、渋沢栄一翁とともに活躍した財界人佐治春蔵氏(佐治タイル創始者)の娘すず子さんが、父の死を悼み、昭和12年に自ら得度して建立したお寺だそうです。
「宗旨の祖」と「宗門の祖」
曹洞宗は坐禅を通じた悟りを目指し、ひたすら坐禅に打ち込むことを只管打坐(しかんたざ)と言います。
開祖は道元と、道元から数えて4代目の弟子瑩山(けいざん)のふたり。
道元は中国で曹洞宗を学んで帰国。日本にはまだ曹洞宗という名前はありませんでした。
京の都の喧騒から逃れ人里離れた福井に永平寺を創立(1244年)。静かな環境で思索と坐禅によって得た境地を正法眼蔵という書に表しました。正法寺の「正法」はここから来ているようです。
教団としての曹洞宗を整備したのは瑩山。道元の弟子、懐弉(えじょう)、義介(ぎかい)の下で修行を積み、能登に総持寺(そうじじ)を開山(1321年)。総持寺はもともと真言宗のお寺でしたが、瑩山が禅院として再興。弘法大師ともご縁があるようです。総持寺は明治時代に焼失、現在の横浜市に移転しました。
こうした経緯から、曹洞宗では道元を「宗旨(宗派の教義)の祖」「父=高祖さま」、瑩山を「宗門(教団)の祖」「母=太祖さま」と呼び、永平寺と総持寺がそれぞれの本山となっています。
修行僧の雲水(うんすい)さん
禅僧になるための修行中の僧を雲水と言います。行く「雲」のごとく、流れる「水」のごとく正しい師と教えを求めることに由来します。
お遍路さんの装いに決まりがあるように、雲水さんの服装も独特です。
丸いお椀を逆さまにしたような網代笠(あじろがさ)、腕まくりをしたような黒い七条袈裟(しちじょうけさ)、修行生活に必要な持ち物を入れる袈裟文庫=行李(こうり)と後附け(あとづけ)。後附けは風呂包みのように背中に結わえます。
お遍路さんの背中に「同行二人」と書いてあるように、雲水さんの首にかかる頭陀袋(ずだぶくろ)には「行雲流水」と記されています。
正法寺尼僧堂では外国人の雲水さんもたくさん修行しているそうです。弘法さんの縁日には托鉢で日泰寺参道を往来していますので、是非声をかけてあげてください。
次回は西蓮寺
来月は日泰寺舎利殿の南東にある浄土宗の西蓮寺(さいれんじ)。池の中に姫池地蔵が鎮座しています。乞う、ご期待。