【第63号】専修院と阿弥陀如来の印相

皆さん、こんにちは。秋も深まり、肌寒い朝晩も増えています。ご自愛ください。さて、今年のかわら版は覚王山周辺の名刹をご紹介しています。今月は専修院です。

法然上人の「専修念仏」 

日泰寺西側には黒塀の古い屋敷が並んでいます。そのひとつが専修院。浄土宗のお寺です。

浄土宗は中国の浄土信仰に由来します。浄土とはさまざまな仏様のそれぞれがいる場所のこと。特定の仏様を信仰し、その仏様のいる浄土に生まれ変わろうというのが浄土信仰。その中で人々の心を最も掴んだのが阿弥陀仏の極楽浄土信仰です。

鎌倉時代の長承二年(1133年)生まれの法然上人。中国の浄土信仰の大成者、善導の記した「散善義」という文章の中に「一心に阿弥陀仏の名を称えれば救われる。なぜならば、それが阿弥陀仏の願いだから」という記述を発見。そこで法然は専修念仏(せんじゅねんぶつ)を説き、「南無阿弥陀仏」と称えれば誰もが極楽浄土へ往生できるという浄土宗が瞬く間に庶民に広がりました。

専修院の「専修」は、この「専修念仏」に由来しています。

弘法大師作の厄除地蔵

専修院のご本尊は阿弥陀如来像。尾張徳川家の息女(お姫様)の一人が嫁入りする際に守り本尊として賜ったものが、縁あって専修院のご本尊として祀られているそうです。

門を入って正面に鎮座しているのは厄除地蔵尊。蓮華の台座に立った大きなお地蔵様。弘法大師が42歳の厄年のお払いのために自ら彫った木像(京都の永観堂禅林寺に安置)を、石で彫り写したものだそうです。本堂の中には弘法大師像もあります。

ご本尊の横には伊勢神宮のご神木「本楠」で作られた薬師如来像。お寺に神社のご神木と聞けば神仏習合(神様は仏様の別の姿という考え方)が思い浮かびますが、神仏習合を普及させたのは弘法大師を開祖とする真言宗。専修院は浄土宗のお寺ですが、弘法大師とも縁の深いお寺のようです。

尾張が発祥の地、重軽地蔵

専修院には重軽地蔵もあります。この地蔵を持ち上げると、願いごとが叶うときは軽く、叶わない時は重くて持ち上げられないという不思議なお地蔵さんです。

各地の地蔵堂には、重軽地蔵、占い地蔵、重軽さま、重軽石、占い石と呼ばれるものがけっこうたくさんあります。日泰寺山門横の千躰地蔵堂にも重軽地蔵と重軽石があります。

これらは江戸時代後期に尾張地方から全国に広まったと言われています。

阿弥陀如来の印相(手の形)

ところで、阿弥陀如来の印相(手の形)は9つあります。人の生前の行いや信仰の篤さによって9つの往生の仕方があり、それを示したのが9印相。「品(考え方)」に上中下の3つ、「生(生き方)」も上中下の3つ、3×3=9の組み合わせです。

一番よく見られる上品上生(じょうぼんじょうしょう)は阿弥陀如来の禅定の姿。最も仏の教えを守った生き方をした人を救う印相です。

印相のほかに、立像が多いのも阿弥陀如来の特徴のひとつ。一刻も早く極楽浄土に連れていって欲しいという衆生の願いの表れと言われています。

次回は尼僧修行の正法寺

来月は日泰寺の東にある曹洞宗正法寺。日本で唯一の尼僧学林です。乞う、ご期待。