皆さん、こんにちは。まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、くれぐれもご自愛ください。覚王山周辺の名刹をご紹介している今年のかわら版。今月は臨済宗の大林寺です
名古屋城と大林寺
日泰寺の東側、姫池通を渡った先にある臨済宗妙心寺派のお寺です。
大林寺は寛永五年(一六二八)の創立。木造釈迦牟尼仏座像。尾張徳川家譜代の家臣、滝川一族の菩提寺として江戸時代には百石の寺領を持って栄え、最盛期の境内は五千七百坪余もあったそうです。
滝川家中興の祖、滝川忠征(ただゆき)は徳川家康により尾張徳川家の藩祖、義直(家康第九子)の佐役(年寄)を命じられ、名古屋城築城の普請奉行のとして活躍しました。
大林寺は名古屋城築城時の余材で建立。本堂東側の墓地には滝川一族の墓塔が並んでいます。
明治維新後の廃仏毀釈によって本堂が打ち壊され、その後は庫裏(くり)はを本堂代わりにしていたそうです。当初は今の白川公園の中にありましたが、戦時中の強制疎開で現在地に移転。本堂も再建されました。境内はよく手入れされ、本堂の裏にはりっぱな庭園もあり、由緒ある禅寺の風格を感じさせます。
只管打坐の曹洞宗、禅問答の臨済宗
七月にご紹介したのは曹洞宗曹洞宗、今月は臨済宗、いずれも禅宗です。曹洞宗は「何も求めることなく、無心、無条件に座禅を行うこと、只管打坐(しかんたざ)を説きます。一方、臨済宗は、沈思黙考、考えながらの座禅を薦めます。
臨済宗の座禅修行においては、公案(こうあん)という禅問答によって悟りの境地に至ることが重要視されています。
たとえば、「生きるとは何か」「千里先の火を消すにはどうしたらよいか」という問い(公案)です。万人に共通の答えはない難問ばかりです。
そんな由来から、禅問答という言葉は、「チグハグな問答」を表す場合によく使われますが、本当は「答えが難しい奥深い問答」を意味しています。
また、日常のすべてが修行であるとし、作務(掃除、仕事など)に真摯に取り組むことも重んじられます。
曹洞土民、臨済将軍
その昔、曹洞宗は農民や町民、臨済宗は公家や武家に広まり、曹洞土民、臨済将軍と言われたそうです。
臨済宗の日本での始祖は栄西。鎌倉を拠点とし、北条政子や源頼家らの鎌倉幕府をうしろだてに、鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺が建立しました。こうした経緯も、臨済宗が公家や武家に普及した理由かもしれません。
建立当時の建仁寺は天台宗、真言宗、禅宗の三宗兼学の道場。弘法大師の真言宗ともご縁があるようですね。
茶道と一休さん
ところで、座禅を修行の基礎とする禅宗の祖は達磨大師、ダルマさんです。六世紀頃にセイロン(今のスリランカ)で生まれ、中国の少林寺で九年間も壁に向かって座禅修行を続けて悟りを開いたそうです。
日本に伝わって鎌倉時代に始まった禅宗の宗派が臨済宗と曹洞宗、江戸時代に始まったのが黄檗(おうばく)宗。覚王山の黄檗宗の名刹としては、かわら版五十七号(今年三月号)でご紹介した大龍寺があります。
禅宗でもうひとつ忘れてはならないのは栄西が中国からもちこんだ茶。当初は修行中の居眠り防止の飲み物だったそうです。茶飲の作法を考えたのは村田珠光。臨済宗の名刹、京都大徳寺の一休和尚のもとで修業を積み、茶の心得を教えられました。
次回は専修院
来月は日泰寺側、浄土宗の専修院。願いが叶うと軽くなる重軽地蔵で有名です。僕(筆者=大塚耕平)の中学高校時代の後輩がご住職です。乞う、ご期待。