【第61号】善篤寺 曹洞宗と法華経

皆さんこんにちは。いよいよ夏本番ですね。暑さにはくれぐれもご留意ください。かわら版も今月から六年目に入りました。今後ともよろしくお願い致します。

(*)カッコ内は参照号

先達会と金剛頂寺のご住職

先達とは四国霊場を何度も巡礼した方々のこと。愛知県の四国公認先達会には四十七の講が参加しており、先月、先達会の会合が開催されました。

その会合にご来名された四国霊場二十六番札所・龍頭山光明院金剛頂寺(別名、土佐西寺)のご住職。わざわざ覚王山をご訪問くださり、お目にかかることができました。

ご住職はかわら版を編集部のホームページからいつも読んでくださっているそうです。ありがたいことでございます。ますます筆に力が入ります。合掌。

引越し三回の善篤寺

さて、今月ご紹介する名刹は善篤寺。日泰寺の東、姫池通を渡った先にある曹洞宗のお寺です。

覚王山周辺には清洲越しに関係する寺社仏閣がたくさんありますが、善篤寺はなんと三回も引越しを経験。岐阜県竹ヶ鼻村(現在の羽島市)から清洲へ移転したのが一回目。二回目は清洲越しによって大須に引越し。万松寺、大光寺とともに三名刹として大変栄えたそうです。昭和十六年、区画整理のために覚王山に移転したのが三回目。本堂は再建されましたが、山門は清洲越し以来のもの。一見の価値ありです。

曹洞宗と法華経

弘法大師が開いた真言宗の根本経典は大日経と金剛頂経。金剛頂寺の寺名は根本経典に由来します。

一方、善篤寺の曹洞宗は経典を唱えるよりも座禅を重視。とは言え、もちろん経典もあります。 

曹洞宗の開祖、道元は法華経に拠り所を求め、如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)と観世音菩薩普門品(かんぜのんぼさつふもんぽん)がその代表格。ともに法華経の本門(五十九号)に属する経典です。

久遠実成と普門

如来寿量品が説くのは久遠実成(くおんじつじょう)。釈尊は今も衆生を導く存在であるという教え(五十九号)。

一方、観世音菩薩普門品の普門とはあまねく開かれた門という含意。観音様こと観世音菩薩(三十一号)の三十三応身(おうじん)が説かれていることから別名観音経(かんのうぎょう)。相手に応じて三十三種類の姿で現れ、すべての人を救う観音様の功徳を説いています。

三十三間堂(京都市)や西国三十三霊場など、三十三がつく仏跡は三十三応身に由来します。

道元が生前最後に読んだ経典は法華経の如来神力品(にょらいじんりきほん)。釈尊が法華経の尊さを後世の人に広めることを求めています。

豊川稲荷は曹洞宗のお寺

ところで、曹洞宗の二大系譜は永平寺派と総持寺派。愛知県には両派の代表的名刹があります。前者は豊川稲荷、後者は万松寺。

豊川稲荷の正式名は円福山妙厳寺(えんぷくさんみょうごんじ)。神社と思われる方が多いようですが、神仏習合の日本の伝統的宗教観を色濃く残した名刹です。仏教守護のご利益がある咤枳尼真天(だきにしんてん)という神様も祀っていることから、明治政府の神仏分離令を免れたそうです。

次回は大林寺

来月は臨済宗の大林寺についてお伝えします。臨済宗も禅を重んじますが、曹洞宗とは趣が異なります。乞う、ご期待。