【第58号】法華寺 「一乗」という「乗り物」

皆さん、こんにちは。覚王山周辺の寺社仏閣、名刹を紹介しています今年のかわら版。今月号は法華寺(ほっけじ)です。

信長と法華寺

覚王山に縁の深い戦国武将と言えば、ご存知織田信長。織田家の城は覚王山から東へ五百メートルの末森城。現在の城山八幡宮がある場所です。信長の父、信秀が築きました。その信長縁(ゆかり)の名刹が東区東桜の法華寺。信長の祖先、織田常勝が建てた日蓮宗のお寺です。

各地の寺社と対立をしていた信長を議論で打ち負かしたのが法華寺五世の日陽和尚。日蓮宗を宗門破却(仏教からの追放)しようとしていた信長を理を尽くして説得。信長との論争は安土宗論と言われています。スゴイ和尚さんですね。

信長と松坂屋

さて、一度は天下を取った信長。しかし、本能寺の変で明智光秀の奇襲を受けて四十九歳の生涯を閉じました。実は本能寺も日蓮宗のお寺。信長の供養塔もあります。

本能寺の変の折、清洲城で留守居役をしていた家臣が伊藤蘭丸祐道(らんまるすけみち)。信長に固い忠誠を誓っていた祐道は信長以外の武将に仕えることを好まず、商人となって呉服屋を開業。これがいとう呉服店=松坂屋の前身です。

信長譜代の家臣の子孫と楊輝荘

その祐道から数えて十五代目の子孫、伊藤次郎左衛門祐民(じろうざえもんすけたみ)=松坂屋の初代社長が大正七年に建てた別荘がご存知、楊輝荘(ようきそう)。日泰寺境内の東側にあります。祐民は名古屋商工会議所の初代会頭も務め、楊輝荘は名古屋政財界の社交場として大変に賑わいました。

楊輝荘の中心は聴松閣。熱心な仏教徒であった祐民は、何度も国内外に仏跡巡拝の旅に出かけました。祐民の巡拝に同行したインド人、ハリハランが描いた聴松閣の仏教壁画は一見の価値があります。

「一乗」という「乗り物」

ところで、平安時代に開花した二大宗派が真言宗と天台宗。弘法大師空海と伝教大師最澄が開祖です。真言宗の経典は大日経と金剛頂経。一方、法華経は天台宗の教えとして受け継がれました。

天台宗から派生した鎌倉仏教六宗派の中で、法華経をさらに深く極めたのが日蓮宗。開祖はその名のとおり日蓮。安房(千葉県)の漁民の子として生まれ、全国の寺社を巡拝して仏法を学び、法華経こそが正しい仏の教えと確信するに至って日蓮宗を起こしました。

法華経は南無妙法蓮華経というお題目でよく知られています。昔から諸経の王と呼ばれ、アジアで最も普及した経典と言われています。

自分だけ悟りの彼岸に渡る声聞乗、縁覚乗、他者も一緒に彼岸に導く菩薩乗。法華経はいずれも否定せず、三乗は大乗という一乗に帰すると教えます。ちょっと難しいでしょうか。要するに、お題目を唱えることで一乗という乗り物に乗って誰もが悟りの彼岸に渡る=仏になれることを教えます。

鎌倉時代は飢饉や大地震が相次ぎ、人心が荒廃した時代。日蓮は立正安国論を著し、法華経の教えに基づく政治こそが国を救うと幕府に上申。幕府に睨まれた日蓮は三度も流罪となりましたが、その主張を曲げず、不撓不屈の生涯を送りました。

来月は台観寺

来月号は天台宗の台観寺ついてお伝えいたします。法華経についても、もう少し勉強させて頂きます。