【第56号】相応寺は尾張徳川家藩祖の母君のために

皆さん、こんにちは。暖冬とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。覚王山周辺の寺社仏閣、名刹を紹介しています今年のかわら版。先月号では尾張徳川家の初代藩主・徳川義直公(家康公の九男)の娘、普峯院に縁の深い尋盛寺についてお伝えしました。今月は義直公の母君に縁のある相応寺です。

尾張徳川家藩祖の母君の菩提寺

相応寺は日泰寺本堂東側の階段を下って姫ヶ池通を渡ったところにあります。尋盛寺と同じ浄土宗です。
義直公が母君・お亀の方を弔うために寛永二十年(一六四三年)に建立。お亀の方は家康公の側室で、家康公の死後、相応院と名を改め、これが寺号となりました。たくさんの子宝に恵まれたことに因んで山号は宝亀山。藩祖の母君の菩提寺ということで、尾張徳川家歴代藩主の厚い庇護を受けました。

創建当時のままの威風

相応寺のもともとの建立地は名古屋城近くの山口町(東区)。区画整理のために昭和十年に覚王山に移築されました。本堂、山門、鐘楼は創建当時のまま。本堂と山門の額は義直公直筆。相応院の墓碑は本堂の隣にあります。また、移築当時は京都清水寺を模した立派な舞台があったそうですが、残念ながら後に撤去されました。

乱世が生んだ浄土教信仰

浄土宗ですから、ご本尊は尋盛寺と同じ阿弥陀如来。西の彼方に極楽浄土という理想郷があり、そこには阿弥陀仏がいて衆生を救ってくれるというのが浄土教、阿弥陀仏信仰です。

浄土教はインド、中国で栄えた後に日本に伝来。日本では法然上人の開いた浄土宗、弟子・親鸞聖人が開いた浄土真宗、孫弟子・一遍上人の開いた時宗などが浄土教にあたります。

先月号で弘法大師空海の真言宗、伝教大師最澄の天台宗は平安仏教、その後、主に天台宗から誕生した様々な宗派を鎌倉仏教と呼ぶことをご紹介しました。

平安時代末期は公家の衰退、武家の台頭による乱世。僧兵も暴れ、天台宗の本山比叡山では、延暦寺(山門派)の山法師、三井寺(寺門派)の寺法師が対立。奈良興福寺の僧兵も奈良法師と呼ばれ、仏教も荒廃。こうした世情に嫌気して、人々の間で南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば誰でも救われる浄土教信仰が広がりました。

札所のご本尊ナンバーワンは・・・?

ところで、四国八十八ヶ所霊場の中で阿弥陀如来をご本尊にしているのは九ヶ所。真言宗のご本尊である大日如来の六ヶ所、仏教の開祖・釈迦如来の五ヶ所よりも多いのは意外です。ご本尊の数で一番多いのは薬師如来。なんと二十三ヶ所です。病気で悩んでいる方が巡礼に行くことが多いこととも関係しているかもしれませんね。

義直公直筆の浄土三部経

浄土宗の経典は無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三つ。浄土三部経と呼ばれます。極楽浄土の世界や念仏の大切さを説いています。相応寺の寺宝は義直公直筆の浄土三部経です。

その他にも相応寺には見所がたくさん。お茶を点てる茶筅(ちゃせん)を供養する茶筅塚。また、家康公御用達の鋳物師・林道春作った鐘など、一見の価値ありです。もちろん、藩祖の母君、相応院の画像もあります。

来月は大龍寺

来月は大龍寺をご紹介します。お釈迦様の五百人のお弟子さん(五百羅漢)を祀るお寺です。乞うご期待。