皆さんこんにちは。もうすぐ冬本番です。くれぐれもご自愛ください。さて、昨年来、かわら版ではいろいろな仏像について勉強しています。菩薩・如来・明王・天部に続き、夏からはいずれにも属さないその他の仏像編。今月は賓頭盧(びんずる)について調べてみました。
実在の人物=祖師像
仏教では実在の高僧(祖師)像も信仰を集めることがあります。もちろん弘法大師もそのひとり。一キロメートル四方に八十八箇所が集まる日本最小の四国霊場の「写し」、ここ覚王山霊場の三番札所の傍にも弘法大師の石像があります。弘法大師の誕生から入定までの年齢ごとの彫像がある歳弘法にも参拝客が絶えません。
日泰寺山門両側の木像は仁王様ではありません。迦葉尊者(かしょうそんじゃ)と阿難尊者(あなんそんじゃ)。いずれも実在の人物。お釈迦様の十大弟子です。迦葉尊者はお釈迦様の入滅後、教団を率いた人で頭陀第一(ずだだいいち)とも呼ばれます。弟子の中で最も知識が豊富だったのが阿難尊者。別名、多聞第一(たもんだいいち)です。
賓頭盧は十六羅漢の一番弟子
お釈迦様の高弟の表現の仕方もいろいろあります。お釈迦様のもとに集まった最初の十六人の高弟を十六羅漢と呼びます。羅漢は仏法修行者に対して尊敬の念を込めて呼ぶ称号。お釈迦様の入滅後にその教えを整理した弟子たちは五百羅漢と呼ばれます。
さて、賓頭盧は十六羅漢の一番弟子。全国各地の賓頭盧像の中で最も有名なのは長野の善光寺。自分が患っているところと同じところを撫でると病気が治ると信じられており、撫で仏として大変人気があります。柔和な表情をした撫で仏。参拝客が撫でるのでピカピカになっているそうです。
四つの善光寺
ところで、善光寺は全国に四つあります。長野の善光寺に次いでよく知られているのは飯田の元善光寺。元善光寺はその名の通り、長野の善光寺のご本尊が元々奉安されていたお寺。六○二年、本多善光という人が麻績の里(おみのさと=現在の長野県飯田市)に大阪難波にあった阿弥陀如来(第三十九号ご参照)をお迎えしました。だからその名をとって善光寺。ご本尊が長野の善光寺へ移されてから飯田のお寺は元善光寺と呼ばれるようになりました。ご本尊様も名残惜しかったのでしょう。「毎月十五日間は、麻績の里に帰り来て衆生を化益せん」と言い残されたそうです。ご本尊は今でも元善光寺と善光寺の間を月の半分ずつ行き来されていると信じられています。したがって、両方お参りしてようやくお参り完了。「一度詣れよ元善光寺、善光寺だけでは片詣り」と言われています。もちろん、賓頭盧像は元善光寺にもあります。
愛知県にも善光寺
あとのふたつは甲府善光寺(山梨県)と祖父江善光寺(愛知県)。祖父江善光寺は別名、善光寺東海別院。一五八二年、織田信長が善光寺のご本尊を携えて祖父江に立ち寄られたところ、その場所で一本の蓮の茎から二つの花が開花。ご本尊のご霊力と言われました。この奇端に感銘を受けた旭住上人という僧が長野善光寺にご本尊を勧請。明治四十二年、東海別院が建立されました。山号が双蓮山、寺号が善光寺です。
善光寺も日泰寺も無宗派寺院
善光寺は仏教が各宗派に分かれる前に建立されたことから無宗派。日泰寺も無宗派。日泰寺はタイ国王から寄贈された本物の仏舎利(お釈迦様の骨)を祀るために十九宗派の共同寺院として建立されました。善光寺と日泰寺の意外な共通点ですね。
次回は三宝荒神
次回は三宝荒神についてお伝えします。仏教の仏・法・僧の「三つの宝」を司る仏様です。乞うご期待。