【第52号】青面金剛と三匹の猿

皆さん、こんにちは。朝晩は肌寒さを感じる季節になりました。くれぐれもご自愛ください。昨年から様々な仏像についてお伝えしていますかわら版。今月は菩薩・如来・明王・天部のいずれにも属さないその他の四回目。青面金剛(しょうめんこんごう)について調べてみました。

寿命を縮める三匹の虫

青面金剛は、大陸渡来の道教と日本固有の神仏習合から生まれた庚申講という信仰と関係します。道教の教えによると、人のからだには彭候子(ほうこうし)・彭常子(ほうじょうし)・命児子(めいこし)という三尸(さんし=三匹の虫)が潜んでいます。三尸は六十日の一度の庚申の日、人が眠っている間にからだを抜け出し、天帝にその人の日頃の行いや悪事を密告。その罪状によって寿命を縮められてしまうそうです。そこで庚申の日は三尸がからだから抜け出さないよう、眠らずに身を慎む風習が庚申講として広まりました。庚申講は庚申侍、宵庚申とも言います。なお、道教の暦は十二支の組み合わせによって作られており、六十日で一巡。庚申はかのえ・さるのことです。

青面金剛と三匹の猿

庚申講は徐々に日本独自のかたちに進化。仏教の陀羅尼集経(だらにじっきょう)というお経の青面金剛咒法(しょうめんこんごうじゅほう)という一節に三尸を取り除く方法が記されていたことから青面金剛がご本尊となりました。青顔四臂の憤怒の形相で病魔悪鬼=三尸を追い払います。
因みに庚申の「申」は十二支の「申=猿」。そこで、人の悪行を天帝が見ざる、言わざる、聞かざるという語呂合わせから三猿が青面金剛の従者となり、庚申塔には三猿が彫られました。余談ですが、神道の庚申講でも語呂合わせから猿田彦を祀ります。

大衆文化に発展した庚申講

日本三庚申は大阪四天王寺、京都八坂、東京入谷(今は浅草寺)の庚申堂。いずれも伝教大師最澄を開祖とする天台系寺院。天台宗は庚申信仰を積極的に唱え、その普及に貢献しました。

一方、名古屋の青面金剛と言えば八事の大学さん。正式名称は不動山大学院。学問修行のお寺です。何を学ぶかといえば弘法大師空海が開いた真言密教。三百年以上前に善能法印という僧が建立し、青面金剛をご本尊としました。脇侍には先月号で紹介しました五大力(五大明王)。東海三十六不動尊霊場のひとつでもあります。

道教に由来する庚申講ご本尊の青面金剛。日本では伝教大師が普及させ、弘法大師縁のお寺にも鎮座。神道にも庚申信仰があることを考えると、庚申講は実に大衆的、日常的な文化と言えます。

仏教におけるご本尊、青面金剛も実は身近な存在。だからこそ、道祖神・七福神などと同じ垂迹(すいじゃく)部=その他に分類されます。

江戸時代になると青面金剛と三猿を配した庚申塔が全国各地に建てられました。戦前は至るところで見られたそうですが、戦災や戦後の区画整理などで失われ、今ではすっかり稀有な存在。覚王山周辺でも見つけたら編集部までお知らせください。

覚王山の青面金剛

日本最小の四国霊場の「写し」、覚王山八十八箇所霊場の中で青面金剛を祀っているのは第七十八番札所、郷照寺の庚申堂。もちろん、三猿も青面金剛像の足元にいます。こちらの青面金剛像は病気を取り除くご利益があり、毎月多くの方が札所を訪れます。郷照寺の場所は奉安塔奥のF地区。本堂参拝のお帰りに一度お立ち寄りください。

次回は賓頭盧さま

次回は賓頭盧(びんずる)についてお伝えします。撫でれば病気が治る撫で仏として人気があります。乞うご期待。