皆さんこんにちは。暑い日が続いています。くれぐれもご自愛ください。
かわら版も第五十号となりました。これもお受け取りくださる皆様方のご愛顧のお陰です。ありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願い致します。
さて、仏像は菩薩、如来、明王、天部の四種類と、そのどれにも属さないその他に分けられますが、今月はこれらの混成部隊(?)の十二天についてお伝えします。
方角と時間を司る十二天
その名の通り、十二天は十二の仏様でひとつのグループを構成し、それぞれ方角を司ります。帝釈天(東、四十三号参照)、水天(西)、焔摩天=閻魔大王(南、四十九号参照)、毘沙門天(北、四十五号参照)、伊舎那天(北東、いしゃなてん)、火天(東南、かてん)、羅刹天(南西、らせつてん)、風天(西北、ふうてん)が八方天。これに天地を司る梵天(天、四十七号参照)、地天(地)、時間を司る日天(昼、にちてん)、月天(夜、がってん)が加わって十二天です。
弘法大師とご縁の深い十二天
京都に都が移った平安時代。年始の宮中では国家安泰、五穀豊穣を祈る儀式が行われ、仏教行事として重要だったのが「後七日御修法(ごしちにちのみしほ))」。年始の最初の週ではなく、第二週目の七日間に行ったので「後七日」と言います。弘法大師の発案で始まった行事で、弘法大師縁の京都東寺の長者(ちょうじゃ=住職)が両界曼荼羅・五大尊・十二天の図画を掲げて加持祈祷を行いました。弘法大師が中国から極意を持ち帰った密教において、十二天は特別な存在でした。密教の教師=阿闍梨(あじゃり)となるための儀式=伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を行う道場の守護仏が十二天だったのです。八方位と転地、昼夜を守る十二天。家に祀ると安心できそうですね。
愛知県にある珍しい十二天木像
十二天は屏風などの図画として残っているものが大半。背後に火焔を背負った貴族のような優美なお姿です。一方、十二天の像は大変珍しく貴重です。この稀有な十二天木像が蒲郡市の無量寺にあります。立像を造ったのは立体曼荼羅(四十三号ご参照)とするためだったと言われています。立体曼荼羅は弘法大師が仏教の世界や仏様の役割を人々が理解しやすいようにと考案した言わば立体模型。誰が造ったか、なぜ無量寺にあるのかはよく分かりませんが、一度拝見したいものです。
日泰寺のライバル?蒲郡の無量寺
西浦温泉に近い無量寺は「癌封じの寺」としても有名です。絵馬には人型が描かれており、癌を患っている部分を黒く塗って癌封じ堂に掛けると効果があると言われています。覚王山と同じく四国八十八箇所霊場の「写し」もあります。レンガ造りの霊場は小さく、気軽に歩いて回れます。覚王山の「写し」が日本最小と思っていましたが、強力なライバルかもしれませんね。
次回は五大尊
ところで、十二天とともに「後七日御修法」で祀られる五大尊の中心は不動明王(四十号参照)。無量寺のご本尊が偶然にも不動明王で、地元では「西浦不動」として親しまれています。次回はその五大尊についてお伝えします。乞うご期待。