【第48号】金剛力士と執金剛神

皆さんこんにちは。梅雨の季節です。くれぐれもご自愛ください。

金剛力士と執金剛神

年初よりインド由来の仏像、天部をご紹介しています。今月はお寺の門でよく見かける仁王像についてです。

仁王の呼び名は人数によって異なります。二人いる場合は金剛力士(こんごうりきし)、一人だけの場合は執金剛神(しゅこんごうじん)と言います。

元はインドの武神ヴァジュラパーニ(金剛杵を持つ者の意)。手に持つ金剛杵は仏の教えが煩悩を打破する武器であることを象徴しています。そのため、別名金剛手や持金剛とも言います。

二人(金剛力士)の場合、左側が密迹金剛(みっしゃくこんごう)、右側が那羅延金剛(ならえんこんごう)です。

阿吽の呼吸

顔の表情も二種類。口を大きく開けて叫んでいるのが阿形(あぎょう)。真実の門を開いて真理に達する決意の表情。口を真一文字に閉じているのが吽形(うんぎょう)。地獄の門を閉じて罪悪を遮断することを示します。

二人の息がピッタリ合う様子を阿吽の呼吸と言いますが、これは金剛力士の阿形・吽形に由来。決まりはありませんが、右が阿形、左が吽形の場合が多いようです。仁王像が祀られたお寺の門は二天門、仁王門と呼ばれます。

阿(あ)と吽(うん)は密教の世界観に通じる語。全ての始まりと終わりを示します。日本語の五十音があで始まりんで終わるのは、このことと無関係ではないそうです。

弘法大師と金剛力士

お寺の守り神である金剛力士は千手観音菩薩の守護神でもあります。四月号でお釈迦様の八人の眷属(けんぞく=従者)である八部衆をご紹介しましたが、千手観音菩薩にはなんと二十八人の眷属、二十八部衆がいます。

千手観音菩薩のまわりには二十八部衆。その右端を密迹金剛、左端を那羅延金剛が守ります。

二十八部衆は曼荼羅の大成者、シルクロードの高僧、善無畏(ぜんむい)が作った千手観音造次第法儀軌という経典に記されています。これを弘法大師が中国から持ち帰り日本に広まりました。弘法大師がいなかったら仁王門もなかったかもしれません。

乱世を平定する執金剛神

二人の金剛力士が合体した執金剛神にまつわる乱世平定の伝説。平安時代、平将門(たいらのまさかど)が朝廷に反旗を翻して乱世となった折、時の天皇が執金剛神に将門征伐を祈願。すると執金剛神は大きな蜂となって将門を刺し、見事に乱を平定したそうです。その場所がおとなり岐阜県の荒尾(現在の大垣市)。かの地の御首(みくび)神社には将門の首を祀っているそうです。

日泰寺山門の像と財賀寺の像

ところで、日泰寺山門両脇の像は金剛力士ではありません。実はお釈迦様の二人のお弟子さん。左が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右が阿難尊者(あなんそんじゃ)です。

愛知県で最も有名な金剛力士像は財賀寺(豊川市)の木像。なんと四メートル近くもあり、東大寺(奈良県)の像に次いで日本で二番目の大きさを誇ります。像を安置する仁王門とともに国の重要文化財。本堂にはご本尊の千手観音菩薩像とともに二十八部衆像も祀られています。

次回から、その他の仏像

菩薩編、如来編、明王編に続いてお送りしてきました天部編は今月で一区切り。来月からはこれらに属さないその他編です。乞うご期待。