皆さんこんにちは。今日は正御影供(しょうみえく)、弘法大師の年命日です。
四天王のリーダー、毘沙門天
昨年から仏像についてお伝えしていますかわら版。今月は天部(インド由来の仏像)編の三回目です。
先月号では帝釈天の四人の忠臣、四天王をご紹介しました。帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の東西南北の方角をそれぞれ守っている持国天・広目天・増長天・多聞天。その中で、多聞天だけは単独で信仰され、毘沙門天(びしゃもんてん)とも呼ばれます。
他の三者は一つの方角だけを守るのに対し、毘沙門天は北だけでなく、東西南の方角も守っています。
一人三役の毘沙門天
多聞天は仏の教えを多く聞いている知恵者として、毘沙門天は勝負事にご利益がある武闘神として知られています。甲冑をまとった武人の姿をしており、戦国武将の信仰を集めました。
戦国武将と言えば上杉謙信。謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、上杉軍の旗に「毘」と記しました。敵が恐れをなす軍旗でした。
毘沙門天には七福神としての顔もあります。七福神と言えば、大黒天、恵比寿、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋、そして毘沙門天。七福神としての毘沙門天は財宝を司る神様として古くから庶民の信仰の対象です。
毘沙門天は一人三役の人気者、大忙しですね。
毘沙門天の妻、吉祥天
四国八十八箇所霊場の中で、唯一天部の仏像をご本尊としているのは第六十三番札所、密教山吉祥寺。弘法大師が当地の人々の貧苦を救うために毘沙門天像を刻んで祀りました。脇士には同じく天部の吉祥天(きちじょうてん)。毘沙門天の妻とも言われており、寺号になっています。女性の姿をした天部で、繁盛や幸運を司ります。
覚王山の吉祥寺と毘沙門天
さて、日本最小の四国霊場の「写し」、覚王山八十八箇所霊場の吉祥寺は日泰寺奉安塔の奥、E地区にあります。
覚王山霊場の周辺には古寺、名刹がたくさんありますが、毘沙門天をご本尊としているお寺はありません。もっとも、広小路を挟んで日泰寺の反対側にある松林寺には、ご本尊の薬師如来のほかに、毘沙門天が祀ってあります。
天部、七福神の仲間も祀られています。C地区の南にある台観寺には、弘法大師作の大黒天。台観寺の秋の大黒祭は多くの人で賑わいます。
織田信長の父、織田信秀の菩提寺として有名な桃巌寺(本山交差点そば)には弁財天。信秀が弁財天の熱心な信仰者だったそうです。
全国の七福神巡りの中でも人気の高いなごや七福神。毘沙門天は中区錦の福生院にあります。
夜叉は毘沙門天の従者「夜叉」
毘沙門天の眷属(けんぞく=従者)である夜叉(やしゃ)のこともご紹介しておきます。空中を飛び回る凶暴な鬼であった夜叉は、お釈迦様に諭されて仏教に帰依し、毘沙門天の従者となりました。
因みに、尾崎紅葉の有名な小説「金色夜叉」の夜叉も、この夜叉です。婚約者に裏切られた主人公が金の亡者となるストーリーから「金色夜叉」というタイトルが生まれました。
夜叉のように、お釈迦様に諭されて仏教を守る八つの眷属を八部衆と呼びます。第四十号でご紹介しました不動明王が背負う伝説の火の鳥、迦楼羅(かるら)も八部衆です。
次回は八代龍王
来月号ではその八部衆についてお伝えします。八部衆のひとつ、八代龍王は参道沿いの歳弘法の「お告げのお石」に関係があります。乞うご期待。