皆さんこんにちは。立春を過ぎましたがまだまだ寒い日が続きます。風邪などひかないようにご自愛ください。
帝釈天の四人の忠臣
かわら版の先月号では天部のひとつ、帝釈天についてお伝えしました。今月は帝釈天の四人の忠臣で方位の守護神、四天王をご紹介します。
帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)の東西南北の門を護るのが四天王です。
東には持国天(じこくてん)。「国を支える者」という意味で、頭には兜、右手には長い宝剣を持ちます。
西には広目天(こうもくてん)。浄天眼(じょうてんげん=千里眼)で世界の全ての出来事を見届けて書き記すために巻物と筆を携えます。
南には生命力を司る神、増長天(ぞうちょうてん)。口を大きく開けて叫ぶ忿怒相、右手には長い槍。生きものを護り育てます。
北には多聞天(たもんてん)。仏の教えをたくさん聞いている知恵者です。右手には仏舎利(お釈迦様の骨)を収めた宝塔を持っています。
多聞天は別名毘沙門天。こちらの呼び名の方が有名かもしれません。毘沙門天は日本では単独でも信仰を集め、七福神のひとつでもあります。
お寺の本尊を安置する場所が須弥壇(しゅみだん)。これは須弥山に由来します。だから、本尊の四方に四天王が配置されるのですね。
四天王寺、東寺、川崎大師
四天王といえば、大阪の四天王寺が思い浮かびます。聖徳太子が中国から伝来したばかりの仏教を広めるために建てたお寺です。もちろん四天王像が祀られています。
弘法大師縁(ゆかり)の京都東寺には国宝木造四天王立像。
東寺の立像をまねて作られたのが川崎大師(神奈川県)大山門の四天王像。川崎大師は全国指折りの初詣の名所。正式には金剛山平間寺(へいけんじ)と言い、関東三大師のひとつです。
覚王山にも川崎大師
覚王山にも四天王像を祀った川崎大師があります。覚王山から池下方面に下った左手(広小路南側)、川崎大師御分身の光明寺です。
日泰寺山門の立像は四天王ではなく、お釈迦様のお弟子さん。本堂に向かって左が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右が阿難尊者(あなんそんじゃ)。詳しくはかわら版第二十号(平成十六年二月号)をご参照ください。
織田信長の四天王
ライバルや有力者のことを四天王と言います。日泰寺の東には織田信長の厳父、織田信秀の居城末森城跡(現在は城山神社)があります。織田信長の四天王は柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀、明智光秀。このうちの滝川家菩提寺が覚王山八十八箇所霊場のC地区にある大林寺。名古屋城築城の余材で建立された由緒正しいお寺です。
天邪鬼を撃退する四天王
四天王が足元で踏んでいるのは天邪鬼(あまのじゃく)。人の心に棲みつく煩悩の象徴であり、四天王がこれを撃退します。人の意見に何でも反対したり、周囲に迷惑をかけることをあまのじゃくと言いますが、四天王に由来する言葉とは知りませんでした。
次回は毘沙門天
さて、来月二十一日は正御影供(しょうみえく)、弘法大師の年命日です。次回は四天王の中心、多聞天こと毘沙門天についてお伝えします。織田信長と同じ時代を生きた有名な戦国武将とのご縁についてもご紹介します。乞うご期待。