【第43号】天部はインドの神様

皆さんこんにちは。明けましておめでとうございます。かわら版も足かけ五年目に入りました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

天部はインドの神様

さて、昨年来、かわら版では仏像について勉強しています。仏像は大きく四つに分類され、昨年は如来・菩薩・明王についてお伝えしました。今月からは天部編です。

天部の「天」は天竺(てんじく)の「天」、インドのことです。つまり、天部は仏教が興るよりもはるか昔からインドに伝わる神様をモデルにしています。だから独特の姿をしているんですね。

今月号では帝釈天(たいしゃくてん)について調べてみました。

寅さんでお馴染みの帝釈天

帝釈天と聞けば、葛飾柴又帝釈天。そう、皆さんお馴染みのフーテンの寅さん。映画「男はつらいよ」シリーズで「生まれは葛飾柴又。帝釈天で産湯を使い・・・」という口上が頭に浮かびますね。柴又帝釈天は正式には経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)と言い、日蓮上人作の帝釈天板仏をご本尊にしています。

帝釈天は武術の神様で、金剛杵(こんごうしょ)を武器に阿修羅と戦い、阿修羅を仏教に帰依させました。古代インドでは宇宙の中心とされる須弥山(しゅみせん)の山頂にある善見城(喜見城)に住み、四天王を従えて下界の不正や悪事を監視しています。また、雨を降らせて豊かな農作物をもたらす雷霆神(らいていしん)としても知られています。

東寺講堂の立体曼荼羅

全国各地にある帝釈天像の中でも、最も有名なのは京都東寺の国宝帝釈天像。東寺は弘法大師が嵯峨天皇から下賜された布教の拠点です。鎧(よろい)をまとい、手には阿修羅を倒した金剛杵。白い象の上に乗っためずらしい坐像です。後世に作られた坐像には、頭が複数ある鵞鳥(がちょう)の上に乗ったものもあります。

東寺を下賜された弘法大師は、真っ先に講堂を造りました。この構造の中に配置された仏像群は立体曼荼羅と言われています。人々が曼荼羅の世界、仏の階位を理解し易いように弘法大師が発案したものです。なるほど、如来・菩薩・明王、そして天部の関係がよく分かりますね。

東寺と言えば弘法さんのルーツ

全国各地の弘法さんの縁日は、弘法大師の月命日に開かれています。そして、そのルーツ(始まり)は東寺で始まった弘法市です。弘法大師信仰が篤くなった平安時代に、東寺南大門の前に一服一銭という茶店ができたことがきっかけだと言われています。

当初は三月二十一日の年命日(正御影供=しょうみえく)だけに行われていましたが、十三世紀頃から月命日にも行われるようになりました。江戸時代から明治時代にかけて、弘法大師縁(ゆかり)のお寺や、四国霊場の写しでも縁日が広がっていきました。

明治三十七年創建の日泰寺。大正時代になると、周辺に日本最小の四国霊場の写しが造られ、弘法さんの縁日も開かれるようになりました。

次回は四天王

ライバル同士の四人の関係を「四天王」と表現することがあります。この四天王、実は帝釈天が従えている天部の仏様のことです。来月号は四天王についてお伝えします。乞うご期待。

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