【第28号】初代阿波藩主、蜂須賀小六・蜂須賀弘法

皆さん、こんにちは。日泰寺参道も秋真っ盛りです。今日もきっと、焼き栗などの秋の味覚が露店に並んでいることと思います。

今年の弘法さんかわら版では「巡礼」にまつわるお話をお伝えしています。今月の話題は、蜂須賀小六と弘法大師のちょっと意外な関係です。

初代阿波藩主、蜂須賀小六

蜂須賀小六のことは、読者の皆さんもよくご存知のことと思います。海部郡美和町の出身で、あの豊臣秀吉の家臣です。

小六は、秀吉の四国遠征で大変な戦功を挙げ、後に阿波藩(徳島県)の初代藩主となりました。阿波と言えば、四国巡礼のスタート地点です。

さて、この「蜂須賀」という名前は、実は弘法大師と深~い関係があるようです。

蜂須賀弘法

全国を旅していた弘法大師が、宮の宿(今の熱田神宮辺り)を訪れた際に、「北の方の小高い丘が荒らされている。寺を建てて鎮めよ」との天のお告げを聞いたそうです。お告げに従って出向いた場所が、今の海部郡美和町界隈の丘の上。そこには、大きな蜂の大群がブンブンと飛び回り、村人たちを困らせていました。

弘法大師が何日もかけて災厄退散を祈祷した甲斐あって、蜂はどこかへ飛んでいったそうです。弘法大師は蜂の巣のあった場所に寺を建て、蓮華寺と命名しました。以来、この地は「蜂塚」と呼ばれるようになり、のちの「蜂須賀」という名前の語源となりました。蜂須賀家は蓮華寺を菩提寺とし、蓮花寺は別名「蜂須賀弘法」と言われています。

弘法大師へのご恩返し

さて、蜂須賀小六が初代藩主となった阿波の国にもたくさんの札所がありました。

そのうちのひとつ、第六十六番札所は巨鼇山雲辺寺(きょごうさんうんぺんじ)。その名の通り、巨鼇(大きな亀)のような山の上にあり、霊場の中で最も標高(九百二十七メートル)が高く、雲海の中にあるお寺です。

雲辺寺は学問が大変盛んだったために、学問の中心と言われた高野山になぞらえて四国高野とも呼ばれていました。

この雲辺寺、戦乱によって荒れ果てていましたが、蜂須賀小六とその子孫は、寺を再興し、祈願所としました。蜂須賀一族は、時間と空間を越えて弘法大師にご恩返しをしたということですね。

なお、雲辺寺は巡礼の順序により讃岐の札所になっていますが、所在地は阿波の国になります。

覚王山の雲辺寺

日本最小の覚王山八十八箇所霊場の雲辺寺の「写し」は、日泰寺奉安塔の裏手にあります。この奉安塔と大書院鳳凰台が十月三十一日に公開されます。ご興味のある方は、雲辺寺の見学もかねて、お出かけになってはいかがでしょうか。

「弘法さんを語る会」開催!!

さて、先月号でもお知らせ致しましたが、編集部では来る十二月十四日(火)、「弘法さんを語る会」を開催させて頂きます。第一回のテーマは「弘法大師の生涯」、場所は日泰寺西側の庭園ギャラリー「いち倫」、定員二十人です。ご興味のある方は、是非ご参加ください。お申し込みをお待ちしております。

また、名古屋市博物館では、十一月三日まで、高野山を含む紀伊山地三参詣道(世界遺産)の特別展「祈りの道」も開催されています。イベント一杯の秋ですね。