【第19号】祖師巡礼と「大使」号 観賢僧正とひげの伝説

皆さん、明けましておめでとうございます。今日は「初弘法」です。そして「初かわら版」です。今年も少しでも皆様のお役に立つ話題をお届けしたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

祖師巡礼と「大師」号

各宗派の開祖を祖師と呼び、祖師の足跡をたどることを祖師巡礼と言います。

全国各地に多くの祖師巡礼があります。日本最小の覚王山八十八か所霊場巡りは、真言宗の祖師空海の聖跡巡りの「写し」です。

祖師にはそれぞれ諡号(しごう=没後の敬称)がつけられており、「大師」号もそのひとつです。

諡号は勝手に付けられるものではなく、没後に第三者が申請して為政者(主に朝廷)から授かるものです。「大師」号を授けられた祖師は25人または27人と言われています。最も古いのが伝教大師最澄、そして二番目に古いのが弘法大師空海です。最澄と空海は特に高名な六大師に含まれています。

「大師」のほかにも「国師」「聖人」「上人」「三蔵」「禅師」などの諡号があります。

観賢僧正とひげの伝説

空海の諡号授与には金剛峯寺と醍醐寺の座主を歴任した観賢僧正(かんげんそうじょう)という高僧が貢献しています。

観賢は空海入定(没)後86年目の921年(延喜21年)、醍醐天皇に対して空海に「大師」号を賜りたい旨の申請をしました。観賢の粘り強い交渉のおかげで空海は弘法大師と呼ばれるようになりました。

「大師」号が下賜された後、観賢は弟子の淳祐(しゅんにゅう)を伴って高野山の御廟を訪れました。弘法大師はまるで生きているかのように瞑想し、うっすらとひげがはえていたと伝えられています。

本覚大師と弘法大師

観賢は当初「本覚大師」という諡号を賜るよう要請していました。「覚」は釈迦を表す「覚王」の一字です。

しかし、醍醐天皇が決めた諡号は「仏法を世に広(弘)めた大師」という意味の弘法大師でした。「本覚大師」という諡号は、その後、弘法大師の京都の拠点であった東寺の後継者である益信和尚が賜りました。

覚王山日泰寺の涅槃会

今年も1年、覚王山日泰寺周辺の四季と史跡をお楽しみください。2月15日は釈迦入滅の日。日泰寺でも涅槃会(ねはんえ)が催されます。涅槃会は釈迦入滅の様子を描いた涅槃図をかけ、釈迦の最後の教えである遺教経(ゆいきょうぎょう)を唱えて遺徳を偲ぶ催しです。子供が参加して団子、餅、あられなどをもらう風習があります。

涅槃会が終わると日泰寺境内は桜やツツジの季節を迎え、4月8日は花祭りです。編集部一同も楽しみにしています。

今年も頑張ります(編集部) 

今年も「弘法さんかわら版」編集部は好奇心旺盛にいろんなお話をお届けできるように頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。何か気になる情報やご疑問があれば、編集部までドシドシお問い合わせください。