【第12号】「無空」→「空海」→「弘法大使」 四国巡礼地は「弘法大使」の修行の場

皆さん、こんにちは!今月も弘法さんの日がやってきました。

「弘法さんかわら版」も12号になりました。昨年の七月に創刊号を配布させて頂いて以来、今回でちょうど一年です。毎月、たくさんの皆さんが受け取ってくださるおかげです。本当にありがとうございます。過去のかわら版(バックナンバー)をご希望の方は、ご遠慮なく編集部(大塚耕平事務所:覚王山バス停前、電話052-757-1955)までご連絡ください。なお、大塚耕平のホームページhttp://www.oh-kouhei.org/ にもアップ(掲載)してあります。

「無空」→「空海」→「弘法大師」

「弘法さん」=「弘法大師」は、ほかにも「お大師さん」「弘法さま」「お弘法さん」などとも呼ばれます。しかし、「弘法大師」というのは、大師がお亡くなりになった八十年も後に、朝廷から与えられた称号(諡号=しごう)だそうです。

幼少の頃から神童と言われていた大師は、十八歳の時に生家(善通寺誕生院=現在の七十五番札所)を出て名を「無空」と改め、やがて山岳修験者となりました。そして阿波の太龍寺岳(太龍寺=二十一番札所)や土佐の室戸岬(最御崎寺=二十四番札所)などで激しい修行を重ね、二十歳の時に和泉国槇尾山寺(四番札所)で得度し、名を「如空」としました。後に「教海」、さらには「空海」と改めました。

また、遠路中国に行かれた際には、「遍照金剛」というお名前を中国の高僧から頂いたそうです。

四国巡礼地は「弘法大師」修行の場

四国八十八ヶ所霊場は、大師が四十二歳の時に、それまでに修行をした場所を連ねて開創されたと伝えられています。

大師がお亡くなりになった後、高弟「真済」が霊場を遍歴したのがお遍路の始まりだそうです。また、「右衛門三郎」という人物が、自己の非を悟って四国霊場を巡ったのがお遍路の始まりと解説している本もあります。

いずれにしても、大師に対する信仰は徐々に高まり、平安時代末期には修行僧を中心に巡礼が行われていたようです。室町時代に入ると一般庶民も参加するようになり、お遍路が完全に定着したのは室町時代末期から江戸時代にかけてと言われています。

知立の「弘法さん」

ところで、先月の「弘法さん」は露店の数が少なかったと思いませんか。実は知立の「弘法さん」と日が重なり、露店商の皆さんが分散したそうです。知立の「弘法さん」は旧暦の月命日(21日)に開催されますが、先月は新暦(覚王山)と旧暦(知立)の月命日が同じ日になったようです。

知立の「弘法さん」は、三河三弘法の一番札所として知られる「遍照院」(へんじょういん)で開かれます。「見返弘法大師」と呼ばれる本尊が祀られています。旧暦の21日には沢山の露店で賑わうそうです。そちらにも、是非お出掛けください。それでは、また来月お会いしましょう。