皆さん、明けましておめでとうございます。弘法さんかわら版も創刊2年目に入りました。今年もご愛読頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。
さて、昨年は日泰寺誕生のいきさつなどをご紹介しました。今年は、日泰寺の誇る日本最小の八十八ヶ所霊場について勉強していきたいと思います。
皆さんご存知のように、四国八十八ヶ所霊場は弘法大師(空海)の修行場となったお寺のことです。その寺々(霊場)を巡礼することをお遍路と言います。
巡礼・遍路は、古くから信心深い庶民にとって憧れの旅でした。実は、四国以外にも巡礼地は全国各地に存在しています。津軽、越後、出雲など三十三ヶ所霊場のほか、十三、十七、十八、十九、二十、二十四、二十五、二十七、三十二、三十四、三十六、四十九など、巡礼地の「数」もけっこうバラエティに富んでいますが、もっとも多いのが三十三ヶ所霊場と八十八ヶ所霊場です。なぜこのふたつの「数」が多いのかはよく分かりません(ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示ください)。
そうした中で、四国と並んで八十八ヶ所霊場を擁しているのは、九州(九州全県)、篠栗(福岡県)、小豆島(香川県)、知多(愛知県)等のほか、ご当地、覚王山日泰寺です。八十八ヶ所もの巡礼となれば、四国全土など相当広域に霊場が散在しているのが一般的ですが、日泰寺の霊場は何と半径数百メートルの範囲に収まっています。一日で回りきれる八十八ヶ所巡礼は、ここ日泰寺だけです。
各地の巡礼地はさまざまな由来で誕生しました。日泰寺の場合、弘法さん(縁日)に合わせて霊場が設置されたのか、あるいは霊場が先で、それに因んで弘法さんという縁日が開始されたのか、定かではありません。日泰寺誕生が明治三十七年であるのに対し、霊場設置と縁日開始は明治42年のようです。地元の方にお借りした「東山名勝」という大正時代の文献の中に、「四国八十八ヶ所は當山境内に於ける呼物とも謂うべきである」との記述があることを勘案すると、どうやら観光名物として意識的に設置されたもののようです(今風に言うと、イベントでしょうか)。
霊場の名前が四国とまったく同じであることも、観光名物として計画的に設置された証左と言えます。一番札所の霊山寺から、八十八番札所の大窪寺まで、四国霊場と日泰寺霊場は完全に一致しています。因みに、知多八十八ヶ所霊場の場合、一番札所は曹源寺、八十八番札所は円通寺と言います。知多の霊場は、既存のお寺を活用して設置されたようです。
ところで、日泰寺の霊場は周辺七ヶ所の場所に分散しています。これらの場所を整理した「覚王山日泰寺の八十八ヶ所霊場と碑塔」という資料があります。それによれば、霊場はもともと札所の番号順に並んでいたそうですが、日泰寺の本堂、霊堂、納骨堂などの新改築、周辺道路の拡幅工事等のために、全体の四割程度が当初の場所から移転したようです。その結果、現在の場所に落ち着いたのは昭和の終り(1980年代)頃ということです。
なお、その資料は、地元の吉野忠夫さんと片岡正明さん(フルーツの弘法屋さんのご主人)が制作された貴重な資料です。編集部(大塚耕平事務所)に余部がありますので、ご興味がある方に差し上げます。お気軽においでください。
平成15年の弘法さんかわら版は、日泰寺八十八ヶ所霊場を中心に、巡礼・遍路に関する情報を皆さんにお届けします。どうぞご期待ください!
それではまた来月、お会いしましょう!