【第6号】覚王山界隈の地名の由来を勉強してみましょう!

皆さん、こんにちは。今年もあとわずかになりました。弘法さんかわら版を毎月ご愛読頂きまして、本当にありがとうございます。

さて、先月、かわら版といっしょにチラシをお配りした「四国霊場八十八ヶ所・空海と遍路文化展」―弘法さま・名古屋にござる―(名古屋市博物館)をもうご覧になりましたでしょうか?開催は今月23日(月・祝)までです。ご興味のある方は、お急ぎ下さい。四国霊場千三百年の歴史と文化の分かり易い解説、ならびに数々の国宝と重要文化財が展示してあります。この機会にお見逃しなく!!

ところで、今月号では覚王山界隈の地名の由来を勉強してみました。

覚王山・・・「覚王」はお釈迦さまを表します。日泰寺の「山号」です。

覚王山通・・・1904年(明治34年)覚王山日暹寺(にっせんじ)が建てられた時にできた地名です。当初は、中央線千種駅付近から一丁目が始まり、覚王山バス停付近の九丁目までありました。現在は池下交差点の七丁目から九丁目までしか残っていません。参道西側の九丁目には、覚王山名物の「氷屋の丸筆さん」「フルーツの弘法屋さん」「江戸寿司さん」など、有名な老舗がいっぱいです。ちなみに、先日オープンした参道入口東側の「スターバックスさん」は、意外にも末盛通一丁目でした。

山門町・・・日泰寺の山門から覚王山通までの参道の両側にこの名が付けられました。

末盛(末森)・・・日泰寺を東に下った森に囲まれた集落では、かつて陶器作りが盛んだったそうです。陶器のことをむかしは「スエ」といい、陶物(スエモノ)が「スエモリ」となったのではないかと言われています。昭和二十年の区画整理の際に、「末代まで盛える街に」という願いを込めて、末盛となったという話も聞きました。

月見坂・・・江戸時代、瓶杁山(かめいりやま、東山公園の東側)の徳川家別荘と名古屋城をつなぐ道の途中にこの坂がありました。坂道から眺める月が美しかったことから、いつの頃からか自然に「月見坂」と呼ばれるようになったそうです。現在の月見坂町は「はちや整形外科病院さん」の北側になりますが、もともとの月見坂は、末盛通に面した「床屋のコワフール・スズキさん」や「鬼まんじゅうの梅花堂さん」の辺りから田代小学校北の観月町の坂辺りにあったと言います。なお、観月町も月が美しく見えることに由来して付いた地名です。

丸山・・・日泰寺南側の丘陵地一帯を指します。丸山神社の棟木札(今から七百七十年前のもの)に「上野の庄丸山」と書かれていることから、その当時、既に丸山という村があったようです。由来はハッキリしませんが、本当に丸い丘なので、きっと「丸山」になったのだと勝手に想像しています!?

法王町・・・「法王」とは宗教の宗主(=教皇)のことを指します。日泰寺が十九宗派の共同寺院であったことに関連してつけられた地名のようです。

大島町・・・郷土芸能として有名な「棒の手」の名手、大島三右衛門さんの屋敷があったことに由来して付いた地名だそうです。

参考資料:田代小学校創立百周年記念誌など

覚王山の大晦日

大晦日の日泰寺参道では、毎年夜11時頃から「とん汁」のふるまいがあります。場所は「覚王山情報館」(「お好み焼きのおよしさん」と「理容菊水さん」の間)の前です。とん汁でからだを暖めながら、集まった皆さんで「カウントダウン!」(6・5・4・3・2・1・0!オメデトー!)が行われます。日泰寺では「除夜の鐘」を打つことができます(今年は事前申込者のみ)。覚王山商店街の年越し深夜営業のお店については、商店街発行の「覚王山新聞」を参考にして下さい。

それでは皆さん、来年もよろしくお願い申し上げます。よいお年を!!