「覚王山祭」ってご存知ですか?
皆さん、こんにちは。今月も「弘法さん」の日がやってきました。先月の「弘法さん」と今月の「弘法さん」の合間に、ここ日泰寺の参道では「覚王山・夏祭」が開かれました(7月27日、28日)。「覚王山祭」は1998年から始まり、今年で5年目です。春、夏、秋と3回開かれます。「弘法さん」の日は昔ながらの風情のある出店が皆さんをお迎えしていますが、「覚王山祭」の日はエスニック風、レトロ風のお店が並びます。「へ~、知らなかった・・」という皆さん、「弘法さん」だけでなく、「覚王山祭」にも是非お出かけください。覚王山をますます気に入って頂けることと思います。秋には「覚王山・秋祭」を予定してます。ぜひ、お越しください。
「弘法さん」のついでに、ちょっと足を延ばしてみませんか!
さて、今回の「弘法さんかわら版」は、皆さんに鉈薬師(なたやくし)をご紹介します。鉈薬師は、日泰寺の北西側にあります。堂内には、あの有名な仏師(仏像の彫刻師)、円空の作った仏像が並んでおり、しかも、「弘法さん」の開かれる毎月21日のみ、公開(開扉)されます。そう、今日です!
鉈薬師の名前の由来は、円空が名古屋城築城の余材を利用して、鉈一本で仏像を彫り上げたことによるものです。そのため、「円空の一刀彫り」とも呼ばれています。ご本尊・薬師仏を囲んで、十二神将と日光菩薩、月光菩薩の二体の脇侍(わきじ)が安置されています。
尾張藩のお医者さん、帳振甫(ちょうしんぽ)
鉈薬師は、寛文九年(1669年)、尾張藩の藩祖・徳川義直公の御用医師・帳振甫によって建てられました。帳振甫は明国からの渡来人(帰化人)です。お医者さんが建立したお寺であることから、別名「医王堂」とも言われています。近くには、振甫プールがありますが、「振甫」の名前の由来は「帳振甫」からきているのかもしれませんね。
仏師・円空、三十八歳の時の力作
ところで、円空は寛永九年(1632年)、美濃国(現在の岐阜県郡上郡美並村)に生まれました。鉈薬師の仏像を彫ったのは38歳の時です。当時の仏師は、今で言えば、アーティスト、芸術家のようなイメージがあったようです。新進気鋭のアーティストとして、帳振甫が円空に仏像作成を依頼しました。鉈薬師の仏像は独特の作風であり、大陸(当時の唐)の仏像に似ているそうです。明国から渡来した帳振甫が故郷を思い、円空にお願いしたのかもしれませんね。
帳振甫と円空の出会い、依頼の経緯などを調べてみましたが、残念ながらよく分かりませんでした。郷土史に詳しい方がいらっしゃいましたら、是非、教えてください。
円空は生涯で12万体の仏像を彫りあげました。現存する仏像は約3000体、北海道から四国まで日本中に散在していますが、やはり出身地の東海地方にたくさん残っています。元禄八年(1695年)7月15日、岐阜県関市の弥勒寺において、64四歳でにご入定(ご他界)されました。合掌。