「弘法さん」の縁日って、いつから始まったのかな?
弘法さんにようこそ!でも、皆さん、どうして弘法さんって言うかご存知ですか?「そりゃあ、あんた、弘法さんがおるんでしょ、日泰寺の中に」と思われると思いますが、おばあちゃん、それは違うんですよ。弘法さんの像は日泰寺参道の周辺にたくさん祀(まつ)られていますが、日泰寺の中に祀られているのはお釈迦さまです。
1898年(明治31年)、インドのピプラーワーというところで発見されたお釈迦さまの骨(仏舎利=ぶっしゃり)を、タイ王室が仏教国である日本に分けてくれることになりました。そこで、日本の仏教各宗派が相談をして、お釈迦さまの骨を祀るお寺を新しく建てることとなり、選ばれた場所がここ旧田代町です。お釈迦さまを表す「覚王」という名前を山号としました。そして、日本とタイ(泰)の友好の証(あかし)として寺院の名前を日泰寺としました。覚王山日泰寺の誕生です。1904年、明治37年のことでした。
さて、ではなぜ弘法さんが祀られるようになったのでしょうか。毎月21日に縁日が開かれるようになったのでしょうか。実はよく分からないんです。一説によると、明治時代の終わりごろ、日本全国で弘法さんブームが起きていたため、参道の賑(にぎ)わいのために弘法さんの命日に縁日が開かれるようになったとも言います。弘法さんが開かれるようになった理由、ご存知の方がいたら教えてください。
ところで、弘法さんと言えば、四国巡礼、八十八寺院のお遍路さんが有名です。1909年、明治42年には、数人の発起人の努力で、日泰寺参道周辺には弘法さんが八十八ヶ所に祀られるようになりました。覚王山日泰寺の八十八ヶ所霊場の誕生です。
「歳弘法(としこうぼう)」の「おもかるさん」
参道のまん中あたりの東側に、「歳弘法」という弘法さんが祀られているお堂があります。弘法さん(弘法大師空海)の1歳から高野山に御入場された(=お亡くなりになった)62歳までの像が祀られています。自分の歳、あるいはお願いをしたい人の歳の弘法さんの像にお参りをすると、御利益(ごりやく)があるそうです。
その入口の小さなお堂には、「おもかるさん(重軽さん)」という「弥勒(みろく)石」が置いてあります。お参りする前と後に石を持ち上げてみて、お参り後に持った時の方が軽く感じられるようなら、願いごとがかなうそうです。試してみませんか?
「弘法さん:かわら版」、(時間つぶしの・・)お役に立てば幸いです!!
さて、「弘法さん:かわら版」は今回が創刊号です。毎月21日の弘法さんの縁日の日に、弘法さん八十八ヶ所霊場や日泰寺にまつわる話、覚王山周辺の話題を皆さんにお伝えしたいと思います。不思議な話、しらない話がいっぱいありそうです。「あんたぁ、こんな話しっとる?」「おみゃあ、こないだ書いてあった話、ちがうがや」などなど、ドシドシと編集部にご連絡ください。お待ちしております。
編集部の場所は、参道出口の正面、広小路通り沿いの覚王山プラザ2Fの参議院議員・大塚耕平事務所内です。では、また来月、お会いしましょう!