【名東区】明徳寺
創建の明徳寺は戦国武将柴田勝家が居宅址です。山門右側は下社城址です。区内には県下で3番目に大きい牧野池があります。尾張藩郡奉行勝野太郎左衛門が数年間を費やして完成しました。
創建の明徳寺は戦国武将柴田勝家が居宅址です。山門右側は下社城址です。区内には県下で3番目に大きい牧野池があります。尾張藩郡奉行勝野太郎左衛門が数年間を費やして完成しました。
守山区は戦国時代には小幡城、守山城、龍泉寺城等を擁しました。志段味古墳群は約70基が集中する市内最大の古墳群です。尾張藩二代藩主徳川光友生母乾の方 (歓喜院)菩提寺として知られる大森寺もあります。
中区のシンボル碁盤割は東西が御園町通から久屋町通までの十二通十一丁、南北が京町筋から大江町筋までの十筋九丁で造られました。南寺町には清州越の寺社が集まり、真福寺は大須観音の名で親しまれています。
東区は名古屋城下町の武家地の中心でした。主税町長屋門は典型的な武家屋敷門です。この門の出格子付番所(武者窓) は武家屋敷のみに許された様式でした。尾張徳川家菩提寺の建中寺の南西には東寺があります。
尾張の野菜等の農産物を枇杷島の青物市場へ搬送したり、名古屋城下町で購入した味噌・油等の生活用品の尾張への運搬路となったのが岩倉街道です。善光寺別院願王寺がある中小田井には商家等の古い街並みが残っています。
北区は原始尾張文化の中心でした。 味鋺神社は延喜式神名帳に名が残る古社。 戦前は中世競馬神事に端を発する流鏑馬 (やぶさめ) が行われていました。 境内には犬山方面とつながっていた稲置街道の清正橋が保存されています。