【中村区】豊國神社
佐屋街道岩塚宿を擁する中村区も古社古刹を擁しますが、豊臣秀吉生誕地に建つ豊國神社は明治時代に創建されました。大正時代に当地が名古屋市に編入されるのを記念して造られた大鳥居は中村区のシンボルです。
佐屋街道岩塚宿を擁する中村区も古社古刹を擁しますが、豊臣秀吉生誕地に建つ豊國神社は明治時代に創建されました。大正時代に当地が名古屋市に編入されるのを記念して造られた大鳥居は中村区のシンボルです。
中川区の代名詞は荒子観音です。七二九 (天平元) 年開創の古刹は、近接する荒子城で生まれた前田利家が再興しました。多宝塔は市内最古の木造建築物であり、千三百体余の円空仏を擁することでも知られています。
南陽地区を含む田園は一六四七 (正保四)年から始まった新田干拓等に端を発し、土地を番割し、各区の守護仏を祀る番割観音が造られました。新田の中を集落や番割観音を経る百曲街道は、港区の歴史を語ります。
笠寺観音は松巨島の上に位置します。古代松巨島の周囲は干潟であり、旅人が往来した年魚市潟です。 「年魚市」は愛知の地名の語源です。市内に唯一残る一里塚が、この地が交通の要衝であったことを示します。
日本武尊から草薙剣を託された妻宮津姫。夫亡き後に剣を祀るために創建されたのが熱田社です。断夫山古墳は東海地方最大の前方後円墳です。源頼朝の母は熱田社大宮司の娘。頼朝は誓願寺付近で生まれました。
塩付街道が貫く瑞穂区にも古社古刹が多数ありますが、大正から昭和初期に建てられた東山荘も特筆に値します。山崎川沿いの広大な敷地の中に見事な日本庭園や数寄屋風書院造りの家屋や風雅な茶室を擁します。
江戸時代、鳴海宿と熱田宿の間宿 (あいのしゅく) として造られた有松宿。宿村農家の副業として習得した絞り技法が有松絞りを生み出しました。桶狭間を巡る三城五砦址、古戦場址を擁する緑区は歴史の宝庫です。
野並八劔社の裏を通る小道が中世鎌倉街道です。室町時代初期、尾張・遠江・越前三国守護であった管領斯波高経が築城した島田城址もあります。徳川家康が平針村を造る際に移築再興されたのが秀伝寺です。
隼人池は尾張藩付家老成瀬隼人が藤田新田のために造成した灌漑池です。尾張高野と呼ばれる八事興正寺。3.6メートルの仏像は名古屋三大仏の中で最大です。八事から東は駿河街道、平針街道などにつながります。
城山神社は織田信長の父信秀、弟信行の居城であった末森城址です。尾張藩初代藩主徳川義直生母菩提寺相応寺など、織田・徳川縁の寺社を擁します。覚王山日泰寺はタイ国王から寄贈された仏舎利を奉安します。