皆さん、こんにちは。いよいよ師走。今年もご愛読、ありがとうございました。年末は慌ただしいことと思いますが、くれぐれもご自愛ください。
かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。
協調的でなかったり、人の意見を聞かない人を評して「あの人は唯我独尊だからなぁ」と言うことがあると思います。この「唯我独尊」も仏教用語です。自分が一番と思っている傲慢で自惚れた言動を揶揄する表現ですが、本当の意味は全く違います。
お釈迦様はお母さんから生まれると即立ち上がり、7歩歩いて、そこで立ち止まって右手で天を指し、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんが<げ>ゆいがどくそん)」と言ったと伝わります。お釈迦様が「自分が一番」などと言うはずがありませ
ん。全く逆です。では何を説いていたのでしょうか。
「唯我独尊」に「貴」ではなく「尊」の字が使われていることに意味があります。お釈迦様は「我、唯だ独り尊ぶ」と言ったのです。では何を尊ぶのか。それは「天の上に人をつくらず、天の下に人をつくらず」という人間の「平等」を尊んでいるのです。人間に貴賎貧富や人種や男女や諸々の差は一切なく、平等であることを尊んでいます。
しかも「私」ではなく「我々」の「我」です。「唯我独尊」とは「我々人間が唯一尊ぶこと」すなわちそれは「平等」であると説いているのが「天上天下唯我独尊」です。
「七歩」歩いたことは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の「六道」を彷徨(さまよ)うことから脱することを意味しています。六つの迷いの世界(六道)から一歩離れて、覚りを得ることを表しています。
「六道」から離れ、唯一の尊い価値観である「平等」を覚ることの大切さを諭すお釈迦様は「七歩の行人」とも言われます。
財産や地位や名誉で人間の価値に差が生じるはずもありません。自らを他と比べて立派だと思い込む心は、仏教の教えとは真逆の姿です。
「天上天下唯我独尊」の後に「三界皆苦吾当安此(さんがいかいくごとうあんし)」という言葉が続いています。「三界は皆苦なり、吾まさに此に安んずべし」という意味ですが、「三界」とは「欲界」「色界」「無色界」。
五欲(食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲)に囚われる「欲界」。物質欲に囚われる「色界」。自分の想念や考えに囚われる「無色界」。「三界」は全て迷いの世界ですから「三界は皆苦なり」。
お釈迦様は「三界」にいながらにして「覚りを開き、苦しみ悩む人々を本当の幸せに導く」ことを決意して「吾まさに此に安んずべし」と述べています。ここでは「我」でなく「吾」であり、「全ての人を救済する」というお釈迦様の決意の表れです。
かわら版で仏教用語をご紹介し始めて丸九年。毎年十二個をご紹介してきましたので、これで煩悩の数と一緒の百八になりました(笑)。ちょうど区切りがよいところで、これをもってかわら版もお開きとさせていただきます。長年のご愛読、ありがとうございました。

