愛知県立旭丘高校に入学。私服登校が容認され、高校というより大学に近い自由な校風。先生や生徒もマイウェイタイプが多く、実に豊饒な3年間。高校時代の友人の多くと、今でも深い交流が続いています。妻も旭丘高校へ。つまり、中高同級生となりました。
「東海の山なみ はろばろ見つつ・・・」で始まる校歌。校舎4階から遠く御嶽山も見える眺望を表しての歌詞です。迷わずバレーボール部へ。やはり1学年上が強く、春高バレーは愛知県決勝戦に進出。1年生でしたが控えのセッターとしてベンチ入り。2年になってキャプテンを務めました。
中高時代にバレーボール部で鍛えられたことが、体力的にも、精神的にも、今も役立っています。一方、バレーと交友活動に熱中した結果、現役での大学受験は見事失敗。予定どおり(?)浪人生活入り。
河合塾名古屋校に入り、夏は春日井市高森台にあった別邸でひとり合宿。奮闘空しく第1志望に不合格となり、早稲田大学に入学。しかし、この早稲田がその後の人生に大きく影響しています。