元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。
9月23日の午後9時半です。代表選挙が終わり、今、帰宅しました。結果は既にご承知のとおり、鳩山さんと菅さんの決戦投票となり、僅差で鳩山さんが再選されました。一刻も早く国民の皆さんの視点に立った政治を実現するために、明日からまた粛々と頑張ります。選挙に参加してくださった皆さん、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。代表選に立候補された鳩山さん、菅さん、野田さん、横路さん、お疲れ様でした。
1.リストラ再考
株価が19年前の水準まで下がったうえ、政府は春先の景気底入れ宣言を撤回する始末です(=つまり、実際は底入れしていなかったと言わざるを得ません)。企業の業績も一段と先行きが不透明になり、各企業の経営戦略や経営手腕の差が一段とクローズアップされそうです。
こんな時だからこそ、経営戦略、経営手腕、あるいはリストラの意味について、もう1度再確認しておきたいと思います(ちょうど1年前、去年の9月のメルマガVol.9やVol.11もご参照ください。バックナンバーはホームページでご覧頂けます)。
会社がなくなってしまえば、社員も組合もありません。会社あっての社員です。しかし、社員が働き甲斐を感じない会社は繁栄しません。社員がいなくては会社は存在しないのです。早い話、「持ちつ、持たれつ」です。
会社の経営にとって、人件費の負担が重過ぎれば、労使がよく話し合って人件費を削減するのも止むを得ないでしょう。給与カットや人員削減もあり得ます。しかし、リストラの本来の意味は「リストラクチャリング=Re-structuring=業務再構築」です。けっして「リストラ=人員削減」という意味ではありません。人件費削減は、様々な業務再構築の戦略の選択肢のひとつに過ぎないのです。
希望退職募集などによる人員削減だけを指して、「わが社はリストラを断行して経営を再建した」という表現は的確ではありません。そういう認識の経営者を抱えている企業の未来は暗いと言えます。同様に、合併・統合によるスケールメリットの追求、固定費の圧縮は、必ずしも経営者の「手腕」とは言えません。たしかに、合併・統合交渉をまとめるという意味で、「交渉力」があることは認めます。しかし、合併・統合による収益力の向上は、経営者の「個人的力量=手腕」とは言えないでしょう。本当の経営手腕は、現状の企業形態を前提として、極力社員の雇用を守る中で、マネジメントや業容の工夫によって社員のヤル気や収益力を向上させることでしょう。
今こそ、経営者と社員が一体となって、船(会社)を嵐(不況)の中で沈没(倒産)させないように努力する必要があります。労使一体となった経営努力によって、新しいビジネスモデル、新しい労使関係を構築できた企業だけが、嵐の後の晴天を謳歌できることでしょう。そのためには、少なくとも、「経営手腕」の意味を正しく理解していない経営者がデッキの中で船長として舵を握っていたり、甲板や機関室で自らの仕事に最善の努力をしようとしない船員を抱えていてはいけません。
2.日銀の株式取得:「金融機能の健全化」と「金融機関の健全化」
18日、日銀が前代未聞の政策を発表しました。日銀が民間銀行から株式を取得するそうです。民間銀行は大量の株式を保有していますが、最近の株価下落によって多額の含み損を抱えており、銀行の経営不安(信用不安)を軽減するために株式を取得するそうです。
日銀は、これまでも、民間銀行の経営状況は芳しくなく、公的資金を再投入してでも信用不安を一掃すべきだと主張していました。「4月にシャッターの開いている銀行は全て健全だ」としている金融庁とは正反対の主張です。現状を正しく認識している点、さらに前例のない政策手段にチャレンジしようという姿勢は評価できます。
しかし、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということも、忘れてもらいたくないものです。
これまで日銀は、「中央銀行のバランスシートを毀損(きそん)させることは通貨(円)の信頼を損ねることになる。中央銀行が、価格リスクの高い株式や不動産を取得することはできない」という立場を貫いてきました。そうした中での、突然の180度の方向転換です。この問題の考え方を、簡単に整理しておきます。
過去のメルマガや国会質疑でも取り上げましたが、今の日本経済に必要なことは「金融機能の健全化」です。「金融機能の健全化」とは、民間銀行が十分な融資(与信)行動を行うことです。この点が損なわれているために、「貸し渋り」「貸し剥し」といった現象が問題になっているのです。日本経済の緊急課題は、「金融機関の健全化」ではなく「金融機能の健全化」です。
日銀が民間銀行から株式を取得することは、たしかに「金融機関の健全化(=金融機関のバランスシートの健全化)」に資することは認めます。しかし、それによって、銀行の融資姿勢が改まり、「金融機能の健全化」が実現する保証はありません。政府与党、金融庁、そして民間銀行自身が姿勢を改め、不良債権の抜本的処理を行わない限り、「金融機能の健全化」は実現しません。
「金融機能の健全化」が実現しない限り、日銀による株式取得は、単に民間銀行に「形を変えた公的資金」を投入するに過ぎません。株価下落によって日銀が損失を被れば、日銀から国への国庫納付金(=納税)が減り、その分を間接的に国民の税金で穴埋めすることになります。
「結果責任」を伴わない政策はありません。「結果責任」を伴わない政策に国民の信頼は集まりません。日銀は、このことを肝に銘じることが必要でしょう。
3.日銀の株式取得:ダイヤモンド逆走の野球
それにしても180度の方向転換ですから、日銀は、なぜそうした行動が必要になったのかを、客観的、定量的な事実に基づいて国民に説明する義務があります。それが「アカウンタビリティ=説明責任」ということです。
早い話、前例のない、先進国共通の金融理論、中央銀行理論に反する行動をとらなくてはならないほど、日本経済や金融機関の実情は緊急事態を迎えているということでしょう。金融庁と大激論になっても構わないので、その実情を国民に対して客観的に明らかにする義務があります。そうでなければ、これまでと180度異なることを主張する正当性、合理性に欠けます。
それとも、今回の判断も、「中央銀行の独立性」の範囲内と考えているのでしょうか。そもそも、「中央銀行の独立性」とは、現在の金融理論、中央銀行理論の範囲内における、先進国の過去の経験から生み出された、言わば「生活の知恵」です。けっして、中央銀行は政府から完全に独立して「何をやってもいい」ということではありません。間接的とは言え、国民の税金の使い道に影響を与えるような政策を、中央銀行が勝手に行っていいということではありません。
中央銀行の話は、多くの皆さんには非常に縁遠い、分かりにくい話だと思います。でも、非常に重要な話なので、あえて野球に喩えてご説明します。
野球のルール(金融理論、中央銀行理論)は、その内容が決まっています。ランナーは、一塁、二塁、三塁という順にダイヤモンドを走るルールになっています。そのルールの下で、ランナーは、盗塁をしたり、ヒットエンドランを試みます。ランナー(中央銀行)は、監督(国民、及び国民から負託を受けている政府)から、ある程度、自主的に判断してプレー(盗塁やヒットエンドラン)をすることを許されています。そうしたランナーの自主性こそ、「中央銀行の独立性」にほかなりません。
日銀が株式を取得するということは、ダイヤモンドを、三塁、二塁、一塁と「逆走」するようなものです。何しろ、今までと180度異なる行動なのです。ランナー(中央銀行)は、「これも選手の自主性(中央銀行の独立性)です。これも野球(経済政策)です」と主張している訳ですが、本当にそうでしょうか。自主性は、ルールの範囲内で許されるものです。そもそも、このランナーは、ついこの間まで、「ルールを守ることは大切です。たとえ監督(政府与党)命令でも、ルールは曲げられせん」と主張していたのです。
海外のメディアやエコノミストからは、「日銀の行動は、もはや野球ではない(先進国共通の経済理論を逸脱している)」という趣旨の批判も出始めています。日銀というランナーは、「なぜダイヤモンドを逆走するのか」ということを、監督(国民)や観客(海外)に説明する義務(アカウンタビリティ)があります。また、自主性の範囲を超えた「逆走」が、ゲーム(国民経済)を台無しにしたり、監督や観客に損失を与えた場合には、「結果責任」をとることが求められます。
10月からの臨時国会で、シッカリと議論させて頂きます。
4.北朝鮮問題に対するアカウンタビリティ
ところで、アカウンタビリティと言えば、今、国民の皆さんの関心が最も集中している北朝鮮問題に対する「説明責任」も見過ごせません。
前号のメルマガでも触れましたが、小泉さんの訪朝が終わってみて、一段と政府の「説明責任」の必要性が増しました。なぜこの時期に訪朝する必要があったのでしょうか、なぜ急いで国交正常化する必要があるのでしょうか。この時期に国交正常化する日本国民にとってのメリットは何でしょうか。
もっと技術的、実務的な疑問もあります。拉致問題で「非公式」に被害者の死亡時期等が示された資料が提示されたということですが、首脳外交の席上で交換される文書・資料に「公式」なものと「非公式」なものがあるのでしょうか。その区別は何でしょうか。その資料は、通訳から通訳に手渡されたと外務省は説明していますが、そんなことが本当にあるのでしょうか。
小泉さんの訪朝前日のNHKニュースも気になる報道をしていました。
「外務省は、小泉―ブッシュ会談で、米国側から「米朝対話の用意があると北朝鮮に伝えて欲しい」と伝言を依頼されたとしていますが、米国側はこれを否定しています。米国側は、「日本からそのように伝えてもよいかと申し出があった」としており、両国の主張には食い違いが見られます」
・・・という内容でした。事実は「推して知るべし」という感じがします。こんなことですら事実を正確に国民に説明できない外務省に、多くは期待できないでしょう。
この問題も、臨時国会でシッカリと議論させて頂きます。
(了)