政治経済レポート:OKマガジン(Vol.61)2003.11.28

参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです


第158特別国会が終わりました。会期をたった1週間としたうえ、小泉首相は会期中の審議ではほとんど重要な問題について答弁をしませんでした。・・・と思ったら、今朝の新聞には、「来週中にもイラク派遣基本計画閣議決定、空自、年内に先遣隊」とか「足利銀行に公的資金投入」といった大ニュースが報道されています。国会審議を避けて重要問題を処理しようとするスタンスに小泉首相の本質が透けてみえます。残念なことです。

1.本質:「似たもの同士」

本質といえば、年金改革に対する関心が高まっている中、社会保障制度の本質を考えさせられる今日この頃です。

社会保障制度の3本柱は年金、医療、介護です。年金改革ばかりがクローズアップされていますが、実は来年4月の診療報酬改定、再来年の介護保険制度の抜本見直し(制度スタート後5年目の見直し)、その翌年の介護報酬体系の見直しなど、社会保障制度の改革が目白押しです。

年金、医療、介護というと、何となく制度の内容がマニアックでとっつきにくい印象を受ける方が多いと思います。しかし、同じ社会保障制度である以上、この3つの本質はよく似ています。

3つとも国民が保険料を払います。しかし、それだけでは財源が足りないので国が一部を負担します。それでも足りない部分は国民(受給者、患者、要介護者)が自己負担します。保険料負担、国庫負担、自己負担の3つから成り立っている制度であるという点が、社会保障制度の共通点です。因みに、年金の自己負担とは、公的年金で足りない部分を補う個人年金や貯蓄がそれに該当します。

2.本質:「似て非なるもの」

それでは、年金、医療、介護はまったく同じ構造でしょうか。そうではありません。大きく異なる部分もあります。

たとえば、負担者と受益者の位置づけです。個人としての負担者、受益者ではありません。世代としての負担者と受益者です。

医療と介護の保険料を払っているのは受益者自身です。誰しも病気になったり、介護が必要になる可能性があるので、保険料を払って制度に加入しています。現在の医療費や介護費を現在の受益者(潜在的に受益者になる可能性のある人たち)で賄っていることになります。負担者と受益者が一致しているのです。

これに対して年金は、現在の年金財源を将来の受益者が賄っています。つまり、負担者と受益者が異なり、これが世代間扶養制度と言われる所以(ゆえん)です。

その結果、医療と介護の予算は単年度ごとにバランスさせる(財源と支出が一致する)ことをイメージして運営されているのに対し(実際にはなかなか一致しませんが・・・)、年金は長期的に制度の維持が可能かどうかを意識して運営されています。

もっとも、医療と介護も負担者と受益者の一致の程度は異なります。医療保険には20歳代から加入する人が大半ですが、介護保険は40歳からの加入です。介護よりも医療の方が一致度は高いと言えます。

しかし、医療についても、個人としての負担者と受益者の関係を考えると、ある時点での不一致度は著しく高いのが実情です。たとえば、自分自身を例にあげると、毎年60万円の国民健康保険の保険料を納めていますが、ほとんど病院のお世話になったことがありません。若い世代よりも高齢世代の方が病院にかかる頻度が高いことを勘案すると、結局、年金と同様に世代間扶養制度的な側面も見えてきます。

年金、医療、介護という社会保障制度の3本柱は、「似たもの同士」と「似て非なるもの」双方の特徴が複雑に混在しています。そうした特徴を的確に把握したうえでの改革論議が必要です。

3.本質:「信なくば立たず」

小泉首相お気に入りの論語の一節です。政治には信頼が一番大切だという含意です。年金制度が立ち行かなくなっている原因のひとつは、歴代政権や厚生労働省が制度設計の前提となる経済や人口構成について非現実的(=超楽観的)な仮定をしてきたことです。

さらに、年金積立金が目減りしていることも影響しています。無駄な保養施設の建設などに流用され、目減りというより詐取されたというべきでしょう。厚生労働省が天下り先や利権確保のために行った所業です。最近では国民の皆さんの知るところとなり、世論の怒りを買っています。厚生年金基金が破綻したり解散したり一方で、基金に天下っていた厚生労働省OBが高額の所得を得ていたケースなど枚挙に暇がありません。

しかも、厚生労働省は過去の制度設計の失敗や年金積立金の詐取の実態を明らかにしようとしません。

医療についても診療報酬体系の中身に不信感が集まっています。昨年の見直しで初のマイナス改定が行われて以降、一段とその傾向が強まっています。1万5千に及ぶ項目の点数がどのように決められているのか、不透明感が拭い去れません。大幅に点数が下がっている項目があるかと思えば、なぜか極端に上がっている項目もあります。どうしてでしょうか。

制度の改革や変更の前に、こうした点についての情報公開が不可欠です。事実が明らかにされ、失敗の責任の所在が明らかにならなくては、国民の信頼は得られません。社会保障制度に関する問題の本質はその点にあります。「信なくば立たず」。小泉首相には、自分の座右の銘の意味をよく噛みしめて頂きたいものです。

スタートして間もない介護保険制度は、今のところ年金や医療のような根深い問題はありません。しかし、ちょっと油断すると介護報酬体系が診療報酬体系のような「伏魔殿」になりかねません。目が離せません。

4.本質:「国民負担」

ところで、冒頭でご説明しましたように、年金、医療、介護は、いずれも保険料負担、国庫負担、自己負担の3つの財源で賄われています。

でも、よく考えてみると保険料も国民の自己負担です。国庫負担も国民の税金です。3つの財源は全て国民の負担です。当たり前ですね。元々、国には自前の財源などありません。全て国民負担です。保険料という名前であっても、その本質は税金と一緒です。「国庫負担で足りない部分を自己負担してください」などと言われると、何やら国のお慈悲を受けているかのような錯覚に陥りますが、何のことはない、全部国民自身の負担です。それが社会保障制度の本質です。

そうであれば保険制度を全廃して、この際、全て税金で賄ってはどうでしょうか。税金は高くなるかもしれません。しかし、その一方で保険料はなくなります。このようなシンプルな仕組みにしないと、国民が全体としてどの程度負担しているのかということを明確に認識できません。いや、むしろ、保険制度を維持し、かつ複雑にすることで、国民負担率を明確に認識できないように工夫しているという面があります。源泉徴収制度も消費税の総額表示制度も、国民に担税感を感じさせないための仕組みです。

この際、極めてシンプルな間接税中心の税制に改め、源泉徴収制度廃止、保険制度廃止、納税者全員が確定申告をするという税制の下で、年金、医療、介護の財源は全て税金で賄うという仕組みにしてみると、社会保障制度の本質が見えてくるかもしれません。抜本改革とはそういうことではないでしょうか。

(了)


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