大隅良典・東工大栄誉教授がノーベル生理学・医学賞を受賞。日本人としては3年連続、25人目。おめでとうございます。大隅先生の業績については、既に報道で詳しくなった読者が多いと思いますが、今回のメルマガ、まずはその話題から入ります。
1.オートファジー
オートファジーとは、ラテン後の「自分(AUTO)」と「食べる(PHAGY)」の合成語。日本語では「自食(じしょく)」と訳されています。
オートファジーという言葉を最初に使った(合成語を作った)のはクリスチャン・ルネ・ド・デューブ博士。
1917年英国生まれの細胞生物学を専門とする科学者で、1974年にノーベル生理学・医学賞を受賞。2013年、母国ベルギーで安楽死したそうです。
デューブ博士は1960年代、飢餓応答(空腹時など)に現れる細胞現象をオートファジーと記述。その現象の解明に多くの科学者が挑戦しましたが、大隅先生もそのひとり。
デューブ博士は1962年に米国ロックフェラー大学教授に就任。後に大隅先生は同大学に留学し、デューブ博士とオートファジーに遭遇。そして、オートファジー現象の解明に寄与したことが今回のノーベル賞受賞につながりました。
人間の体は数10兆個の細胞からできており、その細胞ひとつひとつが生命活動を維持するために不可欠なものが蛋白質。
蛋白質は、炭水化物、脂質とともに、人間の生命維持に必要な三大栄養素。その種類は2万以上と言われています。
蛋白質のうち、不要になったものを分解し、必要なものに作り替える、言わばリサイクルの仕組みがオートファジーです。因みに、蛋白質の寿命は種類によって異なり、長いものは数ヶ月、短いものは数10秒と聞きました。
人間は毎日約200グラムの蛋白質を生成または摂取する必要があるそうです。そのうち摂取は約70グラム。残りはオートファジーによって生成されています。
細胞内には液胞(えきほう)と呼ばれる構造物があり、さらにその中に、不要になった蛋白質を分解して処理するリソソームという小器官があります。リソソームは言わば「ゴミ処理工場」です。
この液胞やリソソームが機能不全に陥る(つまりオートファジー現象が低下する、不要な蛋白質が溜まる)ことが、アルツハイマー病、パーキンソン病、癌、糖尿病など、多くの疾病の原因と考えられています。
そのため、オートファジー現象の解明は、医学や新薬の進歩に大きな影響を与えます。
1990年代、大隅先生は酵母細胞の中で蛋白質が分解される様子を電子顕微鏡で観察し続け、特定の遺伝子がオートファジーに関係することを発見。これが受賞理由です。
その後も、大隅先生を含む多くの科学者が同様の研究に取り組み、今では15種類の遺伝子等がオートファジーに関係することが判明しているそうです。
人間が一定期間食事を摂取しなくても生存できることや、胎盤を介して母親から栄養を得ていた出産直後の赤ん坊が栄養不足にならないのも、オートファジーの仕組みで栄養を補っているためとみられています。
今後の科学者の皆さんの活躍に期待するとともに、政策制度等によって研究をバックアップしていく体制を維持強化していかなくてはなりません。
2.自食行為
ところで、オートファジーつまり「自食」と聞いて、「自食症」あるいは「自食行為」を想像した人もいるでしょう。「自食症」は精神疾患のひとつであり、まさしく自分の体を噛んだり、食べたりすることです。
幼児が爪を噛む行為も「自食症」「自食行為」の一種と言われており、過去には爪のみならず、自分の指を少しずつ噛み切ってしまった症例もあると聞きます。
細胞生物学における自食現象は大いに歓迎すべきものですが、精神医学における自食行為は深刻な問題です。
翻って、社会や国の「自食」について考えてみました。法律や税制、様々な政策等は、社会や国という体を維持発展させていくための蛋白質とも言えます。
不要になったり、体や環境に適合しなくなった法律、政策等をスクラップ&ビルドしていくことは、まさしく細胞生物学における自食現象に喩えることができます。
法律や政策等に基づいて、予算が編成されます。法律、政策等のスクラップ&ビルドが行われず、不要不急の予算を温存したり、借金をしてまで不要不急の予算を執行することは、精神医学の自食行為に似ています。
そんなことをしていては、細胞生物学のみならず、科学研究や技術革新をバックアップする体制など作れません。人材育成も他国に遅れをとることになります。
例えば、不要不急のインフラ建設や税制優遇。いずれもコストのかかる対応であるため、常に自食行為の危険を孕みます。
仮に借金をしなくても、機会費用がかかります。優先順位の高い政策等を行わず、不要不急の政策等に予算を投入することは、自分の体の必要な部分を食べて、不必要なことを行うのと同義です。
国の借金は、最後は国民の租税負担によって返済しなくてはならなりません。借金をしてまで不要不急の政策等に予算を投入することは、まさしく自食行為。
将来世代に借金を課して不要不急の政策等に予算を投入することは、世代を跨いだ自食行為。子孫を食べて自らの生命を維持しているかの如くです。
仕事柄、「どうして世界から戦争がなくならないのですか」とか「どうして将来世代に借金を残すのですか」という質問によく遭遇します。
地球上の生物の中で、摂食(捕食)目的以外で他種を殺すもの、あるいは同種同士で殺し合う生物は、人間だけです。
地球上の生物の中で、将来世代に借金を残す(世代を跨いだ自食行為を行う)生物は、人間だけです。
地球上の生物の中で、文化(高度な言語を含む)、芸術、宗教等を有するものは、人間だけです。だから、人間は地球上で最も尊い生物でしょうか。
実は、人間は地球上で最も愚かな生物であるが故に、文化、芸術、宗教等が必要なのではないでしょうか。
それによって、愚かな精神を戒め、少しでも禍を減らしていくために、文化、芸術、宗教等が必要なのではないでしょうか。何しろ、自食行為をする生物ですから。
細胞生物学の自食現象に触発され、精神医学の自食行為を連想し、話題が社会学、人間学的な方向に行ってしまいました。
人間以外でも自食行為をする生物はいます。タコ(蛸)です。タコ壺に入って逃げられなくなり、餌が捕食できない時は自分の足を食べることが知られています。
生存に関係ない部分であるとともに、タコの足は再生する(細胞生物学的な意味での自食作用的な再生機能がある<トカゲの尻尾と一緒である>)からとも聞きます。
生物の生態はかくも興味深く、生命の神秘は奥深いです。
3.アルゴリズム
オートファジーは生命の神秘、細胞の機能として驚きの世界ですが、生物そのものの行動にも驚きの実態があります。
そのひとつが「群知能」。鳥や魚や虫の群れが、まるでひとつの知能や意思を持った生物のように飛んだり、泳いだりする行動を指します。
何万羽ものムクドリの群れ、数十万匹のイワシの群れ、数百万匹のイナゴの群れが、黒い塊になって、一斉に方向転換し、蠢(うごめ)く姿はまるでひとつの生物です。
その姿をCG(コンピューターグラフィック)で再現したいと考え、それを実現したのが米国のアニメーションプログラマー、クレイグ・レイノルズ。
レイノルズは群れの個体に3つの行動原理(規則)をインプットすることによって、まるで実写映像のようなCGアニメーションを実現しました。
第1はお互いにぶつからないようにすること(分離)、第2はお互いに同じ動きをするように方向と速度を調整すること(整列)、第3は常に群れの中心に向かって動こうとすること(結合)。
このプログラムを使って最初に作られた映画がバットマン。まるで実写のようなコウモリの群れの映像が制作されました。
このプログラム(シミュレーションモデル)は「ボイド(birdoid、鳥もどき)」と呼ばれ、「人工生命」として浸透。以後、多くの映画やテレビでボイドが活用されています。
最近の人間社会、とりわけ最近の日本社会がボイド的であるように感じられるのは筆者だけでしょうか。
ボイドには群れを引っ張るリーダーはいません。しかし、まるでリーダーに統率されているかのように群れ全体が一斉に方向転換します。
この「群知能」に加え、さらなる生物の特性を利用して、鳥や魚の捕獲手法が蓄積されてきました。
例えば、人力による定置巻き網漁業。筆者はスキューバダイビングの指導員であるため、一昨年、漁師さんと一緒に潜って実体験。いろいろと腑に落ちました。
魚の群れは制約された水域(水中内の空間、つまり網のような障害物のある立体水域)に入ると、そこから逃げることができず、水域内を回遊します。
群れが網を設置した水域に入った後、ダイバー数人で網を徐々に巻き上げ、最後は小さく巻いた網の中に魚群を追い込みます。実際、数100匹のアジの群れを捕獲しました。
自食行為で国の借金(国債発行)を重ねる日本。国債は国民の資産でもあり、いくら発行しても大丈夫。現に財政破綻など起きていないではないかという強弁を時々聞きます。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な主張、群集心理であり、いずれ制約(障害)に遭遇した時には、上記の魚群のように一網打尽となるような気がします。
網や漁師は、財政的な限界であり、市場であり、ヘッジファンドであり、国際社会全体とも言えます。
なぜ自食行為のような借金依存、不要不急の予算を止めないのか。ここでも、生物の行動原理、とりわけアリ(蟻)の行動原理が頭に浮かびました。
アリの行動原理は、餌を見つけたらフェロモンを出す、フェロモンを感知したらその道を辿るという単純な規則です。
餌を探してうろつき、餌を見つけたらフェロモンを出しながら帰巣。他のアリがこのフェロモンを感知し、うろつくのを止め、餌への道を辿ります。アリの行列の出現です。
利権の匂いを皆で辿り、制約に遭遇するまでボイド的に行動し、最後は一網打尽。それでは困ります。
生物の行動原理はアルゴリズム(算法)と呼ばれ、問題解決のための手順という意味があります。
生物の中で最も愚かな人間、さらに民族的特性を有した日本人が、一網打尽とならないようなアルゴリズムを考えなくてはなりません。
(了)