臨時国会が開会。補正予算、TPP等から議論が始まりますが、天皇陛下の生前退位問題や憲法改正問題もあります。労働法制は先送りと言われていますが、予断は抱けません。国会開会に先立ち、日銀が新たな金融政策の方針を打ち出しました。日銀も正念場。今回はこの話題を取り上げます。
1.タイムトンネル
「次元」とは空間の広がりを表すひとつの指標。自然科学の概念であり、平面が2次元、奥行きも加えて3次元。私たちが存在する3次元空間に時間を加えて4次元。
4次元世界はSFでよく扱われ、タイムマシンの小説や映画がその典型。子どもの頃、米国のテレビドラマ「タイムトンネル」を熱心に観ていたのを思い出します。
「タイムトンネル」は映画監督アーウィン・アレンの作品。同時期、アレンは「宇宙家族ロビンソン」「原子力潜水艦シービュー号」等のテレビドラマのヒット作を連発。
後に映画に進出し、「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」等を制作。
アレン作品の音楽担当はジョン・ウィリアムズ。今では、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスの作品を担当しています。
つまり、アレンは今日のSF作品の元祖です。アレン作品のタイトルを見て「懐かしいな」と感じた読者はかなりの中高年です(笑)。
さて、本題に移ります。自らの政策を「異次元」と命名して登場した日銀の黒田総裁。今さらですが、何を「異次元」と称していたのか。改めて興味が湧いてきました。
辞書的に言えば「異次元」とは次元の異なる世界。転じて比喩的に、通常とは全く異なる考え方、また、それに基づく大胆な行為や事象を表します。
先週21日、日銀の金融政策決定会合で新たな取り組みが決まりました。日銀の命名によれば「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」。
新たな取り組みの前提として、過去3年半の政策について「総括的な検証」を行い、それを受けて今回の対応を決定。過去3年半の具体的な展開は次のとおりです。
- 2013年4月4日、2年間でマネタリーベース(以下、MB)を2倍にすることで物価上昇率2%を実現することを柱とする「量的・質的金融緩和」に着手。
- MBを年間約60兆円から70兆円増加させ、国債を同50兆円買い増し、平均残存期間を7年程度とすることを目指しました。
- 2014年10月31日、所期の効果があがらない中、MBの増加額、国債の買い増し額を同80兆円に増額。あわせて、平均残存期間目標を7年から10年程度に延長。
- 2015年12月18日、平均残存期間目標をさらに延長して7年から12年程度へ。
- 2016年1月29日、それでも所期の効果があがらないため、マイナス金利導入を決定。日銀曰く「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」。
- 2016年7月29日、英国のEU離脱決定、新興国経済の減速対策を理由にして、ドル資金供与強化、ETF購入額増額等を決定。
- そして2016年9月21日、過去3年半の「総括的な検証」を踏まえて「長短金利操作つき量的・質的金融緩和」を開始。
匍匐前進(ほふくぜんしん)してきた印象ですが、黒田総裁曰く「戦力の逐次投入はしない」とのことですから、戦略的かつ大胆に政策を展開してきたのでしょう。
黒田総裁、個人的な感想で恐縮ですが、政策を「戦力」と表現しない方がいいような気がします。
2.ステルス・テーパリング
「長短金利操作付き金融緩和」の前提である「総括的な検証」のポイントは2点です。
第1に、過去3年半の「量的・質的金融緩和」「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」による実質金利低下を通じて経済・物価が好転。もはや「デフレではなくなった」と結論づけています。つまり、効果はあったという自己評価です。
そのうえで、効果はあったものの物価上昇率2%目標が未達成の理由として、原油価格の下落、消費税率引き下げ後の需要の弱さ、新興国発の市場の不安定化等の「逆風」を指摘(「逆風」は日銀自身の表現です)。
また、経済主体(企業や消費者)が過去のデフレの印象に引きずられ易い「適合的な期待形成」体質を有していることも、目標未達成の理由としています。
第2に、過去3年半の政策は長短金利押し下げに有効であった一方、そのことが、貸出・社債金利の低下、金融機関収益圧縮、保険や年金の運用利回り低下などにつながり、マインド面を通じて経済に悪影響を及ぼしているとしています。
こうした効果と影響に関する総括を踏まえ、それぞれの未達点や弊害是正のため、以下の3点を決定。
第1に、日銀自身が最も適切と考えるイールドカーブ(金利曲線)形成を促すため、従来のMB増加額目標に代えて、短期政策金利と長期金利操作目標を決定する「長短金利操作つき量的・質的金融緩和」を指向。
日銀はこれを「イールドカーブ・コントロール」と命名。長期金利については、金融機関収益等への悪影響を軽減するため、下がり過ぎないようにするという含意です。
第2に、過去のデフレに引きずられ易い「適合的な期待形成」体質を有する経済主体に強く影響を及ぼすため、物価上昇率が安定的に2%に「なるまで」ではなく「超えるまで」、MB拡大方針を継続するとしています。
日銀はこれを「オーバーシュート型コミットメント」と命名しています。
第3に、物価上昇率2%実現に向けて、引き続き必要と判断すれば、追加緩和を実施するとして、短期政策金利の引き下げ、長期金利操作目標の引き下げ、資産買入れの拡大、MB拡大ペースの加速、の4つを列挙しています。
因みに、原油価格下落は国民や日本経済にとっては決して「逆風」ではありません。また、オーバーシュートは一般的にも金融市場的にも「行き過ぎ」という意味で使われていますので、「オーバーシュート型コミットメント」は「行き過ぎた約束」。
「戦力」といい、「逆風」「オーバーシュート」といい、ネーミングはもう少し一般国民的な感覚から工夫した方がいいと思います。
今回の決定には、黒田総裁の苦労と決意のほどが伝わってきますが、いくつかの論点を提示しておきます。
まずは、長期金利を日銀が誘導し、決定するという考え方。長期金利は市場が決める(事後的に決まる)というのが従来の日銀のスタンス。これを完全に逆転させました。
これまでは異次元緩和に基づく国債大量購入を受けて長期金利が低下するという関係でしたが、これを、長期金利の目標水準を日銀が決め、そこに日銀自身が誘導するということです。
しかも、時と場合によっては「指値オペ」を用いると宣言。市場原理による金利自由化に逆行する1990年代以前の姿です。「タイムトンネル」に入ったみたいです。
短期政策金利の決定と合わせ、イールドカーブそのものを日銀が決めるという考え方には、いささか驚きです。
「行き過ぎ」「やり過ぎ」「肩に力が入り過ぎ」という状況は、矛盾を生み出します。
例えば、長期金利が操作目標を下回る場合、保有国債売却や国債保有額減額が必要になります。この点を日銀に質問したところ、「MB拡大方針を継続しているので、保有国債が減少することはない」との回答。
長期金利の目標達成と国債保有額減額の二者択一、トレード・オフ状況になった場合、日銀はどちらを優先するのでしょうか。
誰が考えても同じような疑問が生じます。早速外資系証券会社のレポートが「ステルス・テーパリング(隠れた保有国債減額)への第一歩」と報じています。
3.未完成
この間、日銀のMB対GDP比は異次元緩和開始直前(2013年3月末)の31%から直近(2016年8月末)の80%に上昇。同じく、日銀総資産の対名目GDP比は35%から90%に上昇。
この水準は既に終戦時(1945年)を上回っています。もちろん、戦費調達等のために日銀が国債を大量に引き受けた戦前と、公共事業や社会保障のための借金が嵩んでいる現在を単純に比較することはできません。
ところが、現在の異次元緩和開始に際し、その裏付けとして戦間期の高橋是清大蔵大臣による拡大的財政政策の有効性を主張する論調がありました。それを可能としたのは、日銀による国債引受です。
そうした論調の論者は、国債の日銀引受による金融緩和によって予想インフレ率が大きく上昇したと指摘し、今日においても、インフレ目標を設定し、国債を無制限で購入(買いオペ)すべきであると主張しました。
黒田総裁が具体的にこうした論調や主張を参考にしたか否かは別にして、現実に行われている異次元緩和はかなり似ています。
高橋財政とは、浜口雄幸内閣、若槻禮次郎内閣(1929年7月から1931年12月、蔵相は井上準之助)において行われた「金解禁、緊縮財政」の政策パッケージに伴う混乱後に登場した犬養毅内閣、斎藤実内閣、岡田啓介内閣(1931年12月から1936年2月、蔵相は高橋是清)において採用された「金輸出再禁止、国債の日銀引受を含む超金融緩和政策とそれに伴う拡大財政」の政策パッケージを指します。
高橋蔵相時代、その政策対応は前半と後半で大きく変化しました。前半(就任時から1935年6月まで)は「金輸出再禁止、超緩和の金融政策、超拡大の財政政策」によって高い成長率と物価上昇率を実現。
ところが、過度の予算拡大と物価上昇を是正すべく、1935年6月25日、翌年度(1936年度)の予算及び国債発行(日銀引受)の縮減方針を公表。軍事費も対象となったことから軍部との対立が先鋭化し、1936年2月26日の「二・二六事件」において高橋蔵相は暗殺されました。
高橋蔵相時代を参考にインフレ目標と日銀による国債引受を主張する論者は、この前半の状況を成功と評価し、それに類する政策を推奨しました。
そして、国債の日銀引受からの出口が「二・二六事件」以後、軍部によって塞がれたことが前半の政策の事態収拾の妨げとなったものの、それがなければ高橋蔵相時代の政策は大成功との論理で組み立てられています。
この組み立てに従えば、そうした軍部が存在しない現在、異次元緩和はその効果を確認できた段階で、収束可能との含意のようです。果たしてそうでしょうか。
国債市場や為替市場が十分に成熟していなかった当時は、金輸出再禁止によって金融の内外遮断を行っても、それなりの対応ができたかもしれません。
しかし、今日、事態収拾に向けて、テーパリングや金融引締に転じることは、市場を通じて金利急騰や円急落のリスクを負うことから、容易ではありません。言わば、軍部の代わりを市場が果たします。
なお、「二・二六事件」以後の広田弘毅内閣(蔵相は馬場鍈一)は、1936年3月9日、高橋蔵相が前年6月25日に発表した予算・国債発行縮減方針を撤回。その後、終戦まで国債は混乱なく消化されましたが、その要因は以下のとおりです。
第1に、1932年に開始されていた大蔵省による国債簿価公定制が有効に機能したこと(金融機関決算において含み損や特別損失が出ないような簿価を公定)。
第2に、1937年、日銀は国債担保貸出金利を引下げ、無条件国債買取を開始。金融機関は国債を保有するだけで利益が保障され、かつ保有国債売却が必要になれば、損失が出ない価格で必要額全額を日銀が購入すると保障されたこと。
第3に、1940年に預金による国債保有勧奨が行われたほか、1941年に資金統制計画、1943年に国債貯金制度が導入されたこと。
以上のような経過を経て終戦を迎えた段階では、日銀引受による国債大量発行、生産力減少と物資不足、潜在的なインフレ圧力が高い経済構造が深化。
その結果、戦後約10年間に300倍以上のインフレとなり、国の借金は減り、国民の預貯金が減るという「インフレ課税」が行われました。
高橋蔵相時代の前半の展開を追い求めて「タイムトンネル」に迷い込んでいるかのような異次元緩和です。
因みに「タイムトンネル」は未完成であったものの、その有効性を自ら証明しようとした2人の科学者が「タイムトンネル」に入り、結局一生戻れずに、時空を彷徨うこととなりました。
ドラマの最終回は、時空に漂う2人の姿を映しながら「タイムトンネルは未完成である」とのナレーションで終わりました。異次元に漂う2人を見送りながら「異次元は未完成である」との送辞にならないことを祈ります。
全くの余談ですが、全30作のうち日本で放映されたのは28作。「真珠湾」(第2話)と「南硫黄島」(第4話)は日本に馴染まないという理由で未放映に終わりました。
(了)