株式市場が不安定です。日銀職員としてバブル発生と崩壊の真っ只中で仕事をした経験に照らすと、最近の値幅の大きい動きは昭和62年から昭和63年頃によく似ています。為替市場の変動相場制移行後、世界経済の歴史は基本的に金融緩和とバブルの繰り返し。数年ごとにどこかの国、どこかの市場で発生する次のバブル崩壊が近づいている気がします。
1.中国ショック
「2015年8月」が世界経済の転換点として歴史に名をとどめるか否か。市場や各国経済の動向から目が離せません。
8月11日からの3日間、中国が元を切下げ。唐突感がありました。これを伏線として、21日以降、世界同時株安が発生。市場の動揺は解消されていません。
2000年、共産主義国家でありながらWTO(世界貿易機構)に加盟した中国。経済覇権を掌握するための次のハードルは完全変動相場制への移行です。
しかし、2005年以降、元相場を一定のレンジ(範囲)内に維持する管理相場制を継続しています。
具体的には、中国人民銀行(中国の中央銀行)が毎朝、その日の元取引の基準値を公表。基準値は中国人民銀行が市中銀行からヒアリングした市場実勢に基づいて決定。1日の変動幅は為替介入等によって基準値から上下2%以内(対ドル)に収めています。
基準値は「市場実勢に基づく」建前ですが、実際には中国人民銀行の裁量に左右され、市場実勢と基準値が乖離する傾向が構造化。中国がこうした状況を継続している理由には、自己矛盾を孕んでいます。
輸出促進のために元安を期待する一方、元国際化(基軸通貨化)のために元高も期待。矛盾した期待を両立させるため、一定のゾーン(幅)に元相場を維持する必要があるということです。
一昨年の習近平政権発足以降、中国経済の低迷を映じて元安基調。そこで、中国人民銀行が定める基準値は市場実勢より高めの傾向が続いていました。
こうした状況下、政府は株バブルで景気下支えを画策。関係当局をあげて株高を煽り、上海総合指数は今年6月12日に7年振りの高値(5100台)を達成。1年間で2.5倍です。
そこから変調が始まりました。30%下落して4000台を割ったものの、政府の露骨な「救市」(買支え)によって7月下旬に4000台を回復。しかし、7月27日の月曜日に8.8%下落。市場では上海版ブラックマンデーと言われました。
こうした経緯の中で迎えた8月11日。中国人民銀行による唐突な元切下げ。3日連続の切下げ幅は累計約4.5%となりました。
この動きに株式市場が反応。「元切下げは輸出促進を企図した景気対策、中国経済は悪い」という連想から各国株価が下落。
中国人民銀行副総裁が13日に緊急記者会見。「元切下げは基準値と市場実勢の乖離を縮小し、為替政策の市場化を進めるため。対応は終了した」と説明。同日には、説明の説得力を高めるかのように元買い介入を実施。
しかし、この説明に市場は懐疑的。何しろ記者会見の場は「吹風会」という中国人民銀行が指名する一部マスコミだけが出席できる非公式会見。文字通り当局の主張(風)を「吹」き込む場。そもそも、中国人民銀行幹部の定例記者会見はありません。「吹風会」での副総裁会見は、かえって狼狽ぶりを印象づけました。
今後も、景気対策ための元安、通貨覇権確立のための元高という矛盾した目標の両立を余儀なくされるでしょう。
中国の元切下げ、株価動揺は、主要国の金融政策のシナリオに再検討を迫ります。秋には米国が利上げに転じると予想されていましたが、「元切下げ、米国利上げ」という組み合わせは、中国からの資本流出、米国の貿易赤字拡大につながる蓋然性が高く、両国は今後の戦略を再検討することが予想されます。
2.新常態(ニューノーマル)
今回の元切下げには、IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引出権)の基準通貨として元を採用する問題が絡んでいるとの指摘もあります。
SDRとはIMFが資金不足に陥った加盟国に対して提供する流動性。提供された加盟国はSDRを各国通貨に交換することができます。
現在の仕組みでは、SDRの価値はドル、ユーロ、ポンド、円の4基準通貨の加重平均で決定されているため、中国は元を基準通貨に加えることを画策。しかし、SDRの基準通貨に採用されるためには、国際的信用、自由取引(完全変動相場制)が前提です。
8月4日、IMFは来年1月に予定されている基準通貨の見直し時期の延期を示唆する報告書を公表。元相場決定が市場に委ねられていないというのが主な理由。元切下げが実施されたのはその1週間後。これが、元切下げは「SDR対策」との見方に繋がっています。
この見方も否定はできませんが、上述の景気や株価の展開も踏まえると、IMF報告書公表のタイミングを計って元切下げを実施し、元安誘導による輸出促進という批判回避を企図したと整理することも可能です。
いずれにしても、習近平政権にとって景気対策は政権基盤安定のための重要課題。理由と真相はともかく、元安誘導は合理的な選択です。
景気対策を企図して、中国人民銀行は昨秋以降4回の利下げを実施。政府も財政支出による公共事業や不動産投資を促進。何だか既視感(デジャブ)を覚えます。バブル崩壊後の1990年代の日本に似ています。
中国経済の公共事業や不動産投資への依存体質は極端です。GDP対比の公共事業・不動産投資比率は50%超。とりわけ深刻なのは内陸部。平均でも80%超に達し、100%超の省もあるそうです。
こうした状況下、不動産不況も深刻化。内陸部では新築のマンションやオフィスビルの空室率が50%を超えています。
習近平政権は、無理な高度成長、過剰投資の方針を転換し、「新常態(ニューノーマル)」という目標を明示。具体的には年率7%成長を目指しています。もっともらしく聞こえますが、それは労働人口増加を吸収するために必達の水準。相当無理をしてでも7%を達成しなくては、国内の不満が高まります。
元切下げ2日目の12日に発表された7月の主要経済統計は生産、投資、消費等、軒並み悪化。自動車販売は前年比11.2%減、乗用車に限れば26.3%減。輸出も8%減。
当局はこれらの統計データを11日以前に把握していたでしょう。統計発表前の唐突な元切下げで、統計発表後の悪影響に予防線を張ったと考えられます。
その後、8月の製造業購買景況指数(PMI)が7年ぶりの低水準となることが判明したことを契機に、21日以降の世界株安へ。底流の懸念が表面化したということです。
折しも、天津市で大規模爆発事故(13日)。天津市域のGDP全体に占める割合は約5%。事故の影響への不安も懸念表面化を助長しました。25日には中国人民銀行が利下げを決定。景気対策は続いています。
3.飴と鞭
習近平政権が景気対策と並んで取り組んでいるのが「反腐敗運動」。今や習近平政権の代名詞。「反腐敗運動」も経済に悪影響を及ぼしているようです。
「反腐敗運動」の目標は共産党幹部・官僚の汚職等に対する国民の不満を抑えること。しかし同時に、権力闘争も影響していることは周知の事実。
江沢民前々主席、胡錦濤前主席派の関係者が次々と摘発されており、1日500人以上が処分され続けているとも報道されています。習近平主席暗殺計画の噂が度々報道されるほどの激烈さです。
最初に摘発のターゲットになったのは官官接待。高級レストラン等の関係施設の経営が悪化。各地で閉鎖に追い込まれました。ブランド品等の高額消費も極端に落ち込み、「反腐敗運動」の経済的影響が顕現化。逆に言えば、それほど腐敗が酷かったということです。
既得権益を奪われた官僚のサボタージュも経済に影響しています。中国経済の過度の公共事業依存体質は問題ですが、公共事業が滞ることも問題。「事業を推進すると汚職の嫌疑をかけられる」との口吻の下、官僚の不作為によって公共事業の執行が遅滞。
昨年、国務院は官僚のサボタージュ監視・摘発を行う「督査隊」を創設。先月16日に「督査隊」の報告を受けた李克強首相は「不作為も新たな腐敗」と警告。何につけても激しい中国の国柄です。
しかし、公共事業遅滞の理由はそれだけではありません。事業主体である地方政府や政府系企業の債務が膨張し、財務内容が悪化。新たな事業の障害となっています。
2008年に発生したリーマンショック。中国は4兆元以上の景気対策によって大規模な公共事業等を行い、日米欧に先駆けてリーマンショックの影響から抜け出したと賞賛されました。しかし、その過程で中国全体の債務は約5倍に膨張。
債務者の中心は地方政府や政府系企業。債権者である金融機関の不良債権も増嵩。景気対策のツケを抱え込んだ構図ですが、同時に悪乗りも影響しています。景気対策、経済優先の号令一下、党幹部・官僚・政府系企業関係者の官官接待や汚職が増殖。旧政権関係者が長老跋扈しました。
「反腐敗運動」は人民解放軍にも及んでいます。今年に入って既に50人以上の軍幹部が摘発されています。危険な権力闘争です。
習近平政権は、軍の反発を抑える意図に加え、米国への対抗、覇権獲得という意味での合理性もあることから、国防予算は拡充。飴(あめ)と鞭(むち)です。
2015年度の国防予算(約17兆円)は前年比10.1%増。経済全体は「新常態(ニューノーマル)」の7%成長目標にとどめているのに比べ、優遇ぶりが顕著です。
ハイテク兵器の開発に注力し、国防産業発展を企図することは景気対策の側面もあります。中国初の国産空母建造、最新鋭ステルス機「殲20」「殲31」の開発も急いでいます。
景気対策と「反腐敗運動」の二大課題に対峙しながら、元の国際化、過剰債務の処理、軍の制御、権力闘争にも直面する習近平政権。社会統制を強め、国民の不満暴発を防ぐことにも余念がありません。
言論の管理・統制を強化。中国版ツイッター「微博」の実名登録を進めるとともに、メディア監視を強め、政府批判を封じています。
1990年代の日本。バブル崩壊対策を旗印に、採算性度外視の公共事業山盛りの経済対策を続けた結果、債務の山を構築。
中国にも同じリスクが迫っています。バブル崩壊後の日本のようになるまいと、景気下支えの金融緩和を行う中国。しかし、それもまた似ています。
北戴河会議。共産党幹部や長老が毎年夏、避暑地・北戴河に集まって開く非公式会議です。この夏、北戴河会議で何が話し合われ、秋以降にどのような動きが始まるのか。米国大統領選挙の動静とともに、中国から目が離せません。
(了)