労働法制、安保法制に注目が集まる今国会。労働法制は参議院審議入り、安保法制は衆議院審議の途上です。さらに、最近では株価の乱高下。異次元緩和の副作用が出始め、経済からも目が離せません。もちろん、ギリシャ問題も影響しています
1.ギリシャ問題の経緯
ギリシャ問題が佳境です。EU(欧州連合)との協議は12日が期限。どのような結論になっても、それで解決ではありません。ギリシャ問題は当分の間、世界の不安材料です。
なぜギリシャは経済危機に陥ったのか。簡単に言えば、EUの一員であるが故に、自国の経済力以上の国民生活を堪能していたからです。
自国の経済力と比較して、過剰すぎる公共インフラ、社会保障制度。これらを、EU諸国からの借金で賄っていました。
また、自国の経済力と比較して、過剰すぎる輸入。これは、EU統一通貨ユーロが、ギリシャがEU加盟(2001年)前に使用していた自国通貨(ドラクマ)よりも強い通貨であるため、経済力以上に輸入できたということです。
では、いつからギリシャ問題が表面化したのか。2009年10月の政権交代を機に、旧政権のウソ(財政赤字規模に関する虚偽)が明らかになった時(2010年1月)からです。
EUがギリシャの統計上の不備を指摘。ギリシャの財政赤字対GDP(国内総生産)比は旧政権が約5%と発表していたのに対し、実際には約13%であったことが表面化しました。
その直後、2010年2月にカナダ(イカルイット)で開催されたG7(先進7か国財務相・中央銀行総裁会議)に筆者も金融担当副大臣として随行。欧州(英独仏伊)及びEU関係者が緊迫した議論を行っていたのを思い出します。
その後、ギリシャ政府が策定した財政健全化計画があまりに楽観的であったため、格付会社がギリシャ国債を格下げ。デフォルト(債務不履行)不安からギリシャ国債が暴落。外国為替市場ではユーロが下落、世界各国の株価も下落。以後、ギリシャ問題が常に市場の不安材料となっています。
EUとIMF(国際通貨基金)は第1次支援(2010年5月、総額1100億ユーロ)、第2次支援(2012年2月、総額1300億ユーロ)を行う一方、ギリシャ政府に対して、増税・年金改革・公務員改革・民営化・公共投資削減などの自助努力を要求。
その結果、ギリシャ財政はわずかに改善傾向を示す一方、財政緊縮、景気悪化、国民生活逼迫という状況が続き、ギリシャ国内でデモや暴動が頻発。
そして今年1月、総選挙で反緊縮派が勝利。誕生したチプラス政権が緊縮政策と金融支援の延長を巡ってEU・IMFと駆け引きを行う中、7月6日、国民投票が行われました。結果はご承知のとおり。そして今、12日の期限切れを目前に控えています。
各国の政治経済が相互に独立していれば、こうした状況にはなりません。しかし、現在の国際社会、とりわけEUのように国家統合を意識した共同体では、一国の問題は全体に波及します。
21世紀の欧州社会は統合傾向が続くのか、あるいは再び発散(分散)傾向となるのか。微妙な局面に来ています。
2.クーデンホーフ・カレルギー伯
EUは汎欧州主義(パン・ヨーロッパ)の歴史に端を発しています。汎欧州主義は、欧州全体の統合を目指す思想のことです。
古くは古代ギリシャ、ローマ時代から、他地域(アジア、アフリカ、中近東等)との対比から欧州を一体的に捉える思想が萌芽。キリスト教圏と他宗教(イスラム教、仏教等)圏の対立という要素も影響していたようです。
狭義の汎欧州主義の元祖はリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(1894年生、1972年没)。日本人とオーストリア人のハーフです。父はオーストリア・ハンガリー帝国駐日大使(伯爵)、母は大使公邸に勤務していた日本人でした。
一家は1896年に離日。クーデンホーフは1917年にウィーン大学で哲学博士号を取得。第一次大戦で母国が敗北すると、一家の領地の大半は没収されます。
クーデンホーフはユダヤ人平和主義者アルフレート・フリート(ノーベル平和賞受賞者)の著書「汎米州」を読んで感銘。汎欧州運動を開始します。
クーデンホーフが1923年に出版した「汎欧州」がベストセラーとなり、汎欧州運動が拡がります。この本は日本語を含む多くの言語に翻訳されました。
同書の要旨は、第一次大戦後の疲弊・分裂状態にあった欧州諸国を統合し、台頭する米国や共産主義国家(ソビエト)、アジアの新興国(日本)に対抗すべしということです。
1926年、第1回汎欧州会議がウィーンで開催され、24か国、2,000人以上の政治家、学者等が参加。クーデンホーフは、妻がユダヤ人であったことも影響し、ナチスの民族的ナショナリズム、ゲルマン民族至上主義を批判。ヒトラーとの対立が始まります。
ヒトラーとクーデンホーフは同時代の欧州政治家。ともにオーストリア・ハンガリー帝国出身。著書「汎欧州」の名声によって1920年代には既に欧州文壇の寵児となっていたクーデンホーフに対し、数年遅れで表舞台に登場したヒトラーは対抗意識もあったようです。
1932年、第3回汎欧州会議でクーデンホーフはヒトラーを痛烈に批判。翌1933年、ドイツ首相に就任したヒトラーは「汎欧州」を発禁、焚書(焼却)としました。
1938年、ドイツによってオーストリアが併合される前夜、クーデンホーフは米国に亡命。汎欧州運動本部はナチスに占拠され、数万点に及ぶ文献や書類が処分されました。
クーデンホーフはかつての主君の末裔ハプスブルク公と組み、自らを首班とするオーストリア亡命政府樹立を画策したものの、実現しませんでした。
終戦後の1947年、クーデンホーフは欧州議員同盟を創設。欧州統合の糸口を探るものの、現実の動きはクーデンホーフ以外を主軸に進み始めました。
1947年OEEC(欧州経済協力機構)、1948年ベネルクス3国関税同盟、1951年ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、1958年EEC(欧州経済共同体)、1967年EC(欧州共同体)、1995年EU(欧州連合)と続きます。今日では、この過程で活躍したフランスの政治家ジャン・モネが「EUの父」と言われています。
クーデンホーフが欧州統合の元祖であることは間違いありませんが、その考え方は、世界のブロック化、欧州諸国による植民地主義に同調的だったとも言われています。
1972年、オーストリアの山村で逝去。墓には日本庭園の枯山水様式の石庭があるそうです。碑文には「欧州合衆国のパイオニア」と記されています。
3.既成秩序への挑戦
クーデンホーフの汎欧州主義のみならず、ヒトラーを含め、当時の欧州政治家の主張には第1次大戦後の国際秩序(1919年のヴェルサイユ体制等)への挑戦という深層心理がありました。いつの時代も、既成秩序は新たな秩序の挑戦を受けます。
第2次大戦後の国際秩序は「パックス・アメリカーナ(米国覇権)」。その中核であるブレトンウッズ体制(1944年)も挑戦を受け始めました。
ブレトンウッズ体制はドル基軸の国際金融秩序。国際復興開発銀行(世界銀行、IBRD)、国際通貨基金(IMF)が中心であり、アジア開発銀行(ADB)も一翼を担っています。
7月7日、新興5カ国(中国、インド、ロシア、ブラジル、南アフリカ)が設立するBRICS銀行(新開発銀行)が第1回総会を開催。総裁をインド、副総裁を中国から出すこと、本部は上海、業務開始を年内と決定。同銀行は2013年3月のBRICS首脳会議で設立が合意された新興国版「世界銀行」です。
その半年後、2013年10月に習近平主席がインドネシア訪問時に構想を発表したアジアインフラ投資銀行(AIIB)。6月29日に設立協定調印式が終わり、やはり年内に業務を開始する予定。中国版「ADB」です。
海陸シルクロード周辺の「一帯一路」構想を打ち出した中国。AIIBは当該地域のインフラ整備を企図し、中国の強力な外交力、ソフトパワーになると予想されます。
上述のように、中国はBRICS銀行設立合意の半年後にAIIB構想を発表。5カ国均等出資のBRICS銀行とは別に、自国の意向を強力に反映できる国際金融機関を必要と考えたのでしょう。参加国は英仏独等を含む57カ国に広がり、滑り出しは上々。日本は完全に後手に回りました(メルマガ332号参照)。
ブレトンウッズ体制下の世界銀行とADBに対しては、新興国から「条件が厳しい」「人権尊重、民主主義等の政治的条件が付される」等々の不満があります。
一方、BRICS銀行やAIIBは、迅速・無条件融資が謳い文句。欧米中心の国際金融秩序に対するBRICS、とりわけ中国、ロシア両国の対抗意識が明々白々です。
ウクライナ問題で欧米から経済制裁を受けているロシア。去る4月と6月、プーチン大統領はギリシャのチプラス首相をロシアに招聘しました。財政危機に見舞われているギリシャの取り込みにBRICS銀行を活用する考えです。
北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるギリシャは地中海の要衝。ウクライナ領クリミア半島を武力で編入したロシアにとって、近隣に位置するギリシャの重要度は増しています。
中国もギリシャに接近。中国国有の最大手海運会社がギリシャの最大港湾のコンテナ埠頭の運営権を握り、港自体の買収を検討中。2月には同港に中国の軍艦が寄港しています。
中国が掲げる「一帯一路」構想の西側はギリシャ周辺を含みます。李克強首相は6月29日のEUとの首脳会議で「ギリシャ問題解決に中国は建設的な役割を果たす」と表明し、豊富な資金力を背景に支援を示唆。
ギリシャとEUの亀裂が深まれば、米欧と中ロの戦略バランスは大きく変わります。先週28日、オバマ大統領は独メルケル首相に電話し、ギリシャをEUにとどまらせることが「死活的に重要」と伝えたと報じられています。
5月、中国とロシアは地中海で初めて合同軍事演習を実施。そして今月、BRICSはロシア南部ウファで首脳会議を開きます。ブレトンウッズ体制、そして米国覇権への挑戦が過熱しています。
民主主義は財政赤字を必然的に発生させると言われています。国民も政治家も、不況時の財政拡大に賛成する一方、不況時の財政緊縮には反対する性質を有しているからです。
民主主義のルーツであるギリシャが自らそれを立証し、世界覇権を巡る欧米と中ロの対立の鍵となっているのは因縁深いことです。
ギリシャの財政危機が加速し、実態の隠蔽に走った背景には、アテネ五輪(2004年)の財政負担も影響しています。東京五輪(2020年)の施設建設に北京五輪の5倍以上の巨費を投じようとしている日本。ギリシャを他山の石としなければなりません。
(了)