政治経済レポート:OKマガジン(Vol.313)2014.6.9


「集団的自衛権」の政府・与党内議論が佳境を迎えているようです。「安倍首相が今国会中に閣議決定を指示」との報道も流れています。しかし、検討内容の論理性と国会での議論は不十分。大いに懸念されます。予算委員会での安倍首相との5回の質疑等を踏まえた僕自身の論理的結論は下記のとおりです。少々長いですが、大切なテーマなのでお許しください。重要なポイントは7点。読者の皆さんのご参考になれば幸甚です。


1.自然権

メルマガ295号(2013.9.15)298号(2013.10.30)の内容も参考にしながら、下記を読んでいただけると幸いです(バックナンバーはホームページからご覧になれます)。

「個別的自衛権」は自然人(人間)の正当防衛や生存権に擬せられる「自然権」。したがって、憲法に書いてあろうがなかろうが「保有し、行使できる」のは当然のこと。

国連憲章に「個別的自衛権」は明記されていません。国家の当然の権利、つまり「自然権」であり、明記するまでもないということです。

一方、「集団的自衛権」は1945年の国連憲章51条において、当時の国際情勢に対応して新たに考案された人為的、後天的な権利です。

「個別的自衛権」は「自然権」であり、「集団的自衛権」は「自然権」ではない。これが第1のポイントです。

昨年10月23日、安倍首相との最初の質疑において、首相は「自然権」という概念(言葉)の認識がなく、この点に関する「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の区別がついていなかったことには驚きました。今や十分に認識していることを期待します。

日本は、日本国憲法発布(1947年)、独立回復(1952年<サンフランシスコ講和条約発効>)以来、「集団的自衛権」は憲法上の制約から「保有すれども、行使できず」という立場を一貫して堅守。ほとんどの期間が自民党政権です。

その間、日本の安全保障を巡る環境は変化し続けています。国家はいかなる事態に直面しても国民の生命と財産を守らなくてはなりません。国家の3要素(主権、国民、領土)を守れなければ、国家の体をなしません。

そこで、歴代政権は「個別的自衛権」の概念や行使要件を進化させることで、現実の変化に対応してきました。

現実の変化に対応して「個別的自衛権」を進化させること。これが、第2のポイントです。

特筆すべきは佐藤栄作首相と中曽根康弘首相が「個別的自衛権」の対応可能範囲を拡大したことです(メルマガ298号参照)。

昭和43年8月10日(第59回国会)、佐藤首相は、日本の領域内で日本政府の了解なしで武器等の使用や武力行為があれば、それが誰に対してであろうと「個別的自衛権」で対応できると答弁。

昭和54年4月8日(第98回国会)、中曽根首相は、日本が武力攻撃をされている場合には、「個別的自衛権」の行使として公海上で友軍(その時点の想定は米軍)を支援可能と答弁。

このように、両首相は現実の変化に対応して「個別的自衛権」を進化させてきました。さらなる現実の変化に対しても、「個別的自衛権」の解釈によって論理的に対応可能とすることが、従来の政府見解との整合性を維持しつつ、国家の体を維持する道です。

検討が必要となる残るケースは2つ。ひとつ(ケース1)は、日本が武力攻撃を受けていない場合の、公海上における友軍に対する日本の「個別的自衛権」のあり方。

もうひとつ(ケース2)は、他国の領域内における友軍への支援。このケースは、日本が武力攻撃を受けている場合(a)と受けていない場合(b)の両方があります。

ケース2(a)の場合は、日本が武力攻撃を現に受けているわけですから、「個別的自衛権」で対応可能。但し、「他国」が武力攻撃当事国であるかどうかで判断は異なるでしょう。

ケース1やケース2(b)のような事態に「個別的自衛権」で対応するとすれば、その事態が日本の存亡(生存権)に関わる重大事態であるとの判断が必要でしょう。

以上を整理した2月7日の予算委員会質疑で使用した概念図をホームページにアップします。ご活用ください。

2.自衛隊法78条

「個別的自衛権」の行使要件は、米英の国際紛争(1837年「カロライン号事件」)を契機とした米国務長官の主張(ウェブスター見解)によって整理されました(メルマガ298号参照)。

すなわち、第1に、急迫不正の侵害があること(急迫性)。第2に、他に対抗手段がないこと(必要性)。第3に、攻撃に対抗する限度にとどめること(均衡性または相当性)。

この3要件を厳格に適用すると「様々な事態に対処できないのではないか」という懸念が自衛権論争の背景です。例えば、偽装漁民による離島不法占拠のようなケース。いわゆる「グレーゾーン」「マイナー自衛権」の問題です。

5月27日、政府は「集団的自衛権」行使の検討材料として15事例を提示。その第1は離島等の不法占拠、第2は公海上の自衛隊への不法行為。

しかし、この2事例は自衛隊法78条に定める「間接侵略その他の緊急事態」に該当する事態として対処可能。そのことは6月4日の安全保障調査会で政府(国家安全保障局)が認めました。

現行法で対応可能な事例を「集団的自衛権」行使の検討材料として提示したことは、国民への誤った説明、世論操作と批判されてもやむを得ません。

この件は5月28日の同調査会での僕の質疑が端緒。国家安全保障局はその顛末を文書にして提出。訂正のうえ、文書を提出したことは評価しつつも、同局には大いに反省を求めます。訂正文書の写真はホームページにアップします。ご興味があれば、ご覧ください。

つまり、離島等の不法占拠、公海上の自衛隊への不法行為に対しては、自衛隊法78条で対処可能。「集団的自衛権」行使を検討する必要はありません。

その他の13事例や、それ以外の事例においても、現行法の規定を適切に運用することによる対応を検討することが肝要。中でも自衛隊法78条は極めて重要です。

同条に定める「間接侵略」の定義は、昭和48年9月23日参議院本会議における山中貞則防衛庁長官答弁によって初めて明確化。曰く「外国の教唆又は干渉によって引き起こされた大規模な内乱又は騒乱」。

しかし、上記の事態に限定すること自体が昭和40年代の社会情勢、国際環境に対応した定義。もはや現在の状況に適応しておらず、これを進化させるべきでしょう。

当時は東西冷戦下、東側諸国によるスパイ活動や破壊活動が懸念されていた時代。今や東西冷戦が終結した一方、中国の台頭、ロシアの復活等から、新たな環境に直面しています。

偽装漁民による離島不法占拠は一般的感覚で言えば明白な「間接侵略」。「間接侵略」の定義を変えることこそ必要です。憲法解釈を時々の政権が裁量的に行うべきではない一方、法律解釈を現実の環境変化に対応して行うことは理解できます。

さらに、「その他の緊急事態」に至っては定義なし。驚きました。「その他の緊急事態」を明確に定義するか、弾力的に運営することで相当の事態に対処可能です。

自衛隊法78条に定める「間接侵略その他の緊急事態」の定義を現実の変化に対応して進化させること。同条を適切に運用すること。これが第3のポイントです。

自衛隊法78条は「治安出動」を定めた規定です。一方、同76条は明白な自衛権発動となる「防衛出動」を規定。

喫緊の検討課題は「グレーゾーン」や「マイナー自衛権」。だからこそ「治安出動」を定める同78条の適切な運用が求められます。

相手国が曖昧な行動(偽装漁民等)で陽動したり、国家としての戦闘行為(武力行使)を認めない状況下では、あくまで「治安出動」で対処することが外交上の「機転」「知恵」と言えます。

明確な自衛権発動である「防衛出動」となれば、それこそ相手国側が「戦争をしかけられた」と主張する材料を与えかねません。

3.密接な関係にある国

「治安出動」では対応しきれない事例に対しては、2つの論理的選択肢が検討可能です。ひとつは、日本の安全保障の本質を踏まえ、あくまで「個別的自衛権」にこだわる隘路です。

日本の安全保障は日米安保条約と密接不可分。日米安保条約なくして日本の安全保障は成立しないというのが現在の考え方です。

したがって、「治安出動」の範疇外の事例であっても、日本の安全保障の本質に抵触する事態であれば、「個別的自衛権」で対応可能。例えば、日本の領域内における米軍への攻撃は、まさしく日本の安全保障を揺るがすものです(そもそも、日本の領域内で武器使用が行われれば、佐藤首相答弁の事例に該当します)。

もうひとつは、憲法9条1項が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」と定める国家の基本姿勢と、国連の集団的安全保障(「集団的自衛権」とは別)に帰するものです。つまり、国連の集団的安全保障の枠組みの中で対応する隘路です。

「集団的自衛権」と「集団的安全保障」は異なるものです。このことを冷静に認識したうえで、現実的対応が求められます。

日本の安全保障の本質と国連の集団的安全保障の枠組みに基づいて対応すること。これが、第4のポイントです。

懸念される全ての事例が「個別的自衛権」と「集団的安全保障」で対応可能であっても、それでも「集団的自衛権」行使に拘泥する意見もあるでしょう。しかし、「集団的自衛権」が現在の定義のままでは危険である点を、最後にご紹介しておきます。

集団的自衛権の定義について、現在の政府の公式見解は下記のとおりです。

曰く「集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利として解されている」。

問題は「密接な関係にある国」の定義です。3月20日の予算委員会で、岸田外務大臣に、「密接な関係にある国とはどのような定義か」「その定義をオーソライズ(公式に確定)するのは誰か」と質問したところ、いずれにも答弁できず立ち往生。横で聞いていた安倍首相も上の空。

委員会終了後、安倍首相、岸田外相に「これは重要な論点なので、是非回答願います」と要請したところ、その日のうちに国家安全保障局と外務省が来室。菅官房長官答弁書(想定問答)を資料として提示してくれました。以下のとおりです。

曰く「『自国と密接な関係にある外国』については、一般に、外部からの武力攻撃に対し共通の危険として対処しようとする共通の関心があることから集団的自衛権の行使について要請又は同意を行う国を指すものと考えられ、条約関係にあることは必ずしも必要ないと考えられている」。

さて、読者の皆さんはどう思われますか。僕は「条約関係にあることは必ずしも必要ない」という部分には驚きました。

個人的には、「密接な関係にある国」との間には、日米安保条約等のような条約関係が当然必要と考えますが、現在の政府見解はそうではありません。これは看過できません。

現在の解釈のままでは、「集団的自衛権」行使を限定的であっても容認すると、米国以外の国に対しても支援する可能性があることを意味します。これは問題です。

「密接な関係にある国」とは、安全保障上の条約・同盟関係を締結している国であること。これが第5のポイントです。

結論的に言えば、「集団的自衛権」を認めることで環境変化に対応するのであれば、憲法改正が必要です。憲法解釈の変更で「集団的自衛権」行使を認めることは、過去の政府見解との整合性と理論的必然性の観点からはあり得ない選択です。政府自ら過去の公式見解を否定することは、国民及び国会に対する背信行為であり、自己矛盾、自己否定です。

「集団的自衛権」は「保有すれども、行使できず」。「集団的自衛権」行使を認めるためには憲法改正が必要であること。憲法改正をしないのならば「個別的自衛権」と「集団的安全保障」の枠組みで対応すること。これが第6のポイントです。(図もアップ)

逆説的ですが、どんな事態にも「個別的自衛権」で対応できるという考え方は、異常な為政者に政権を委ねた場合には「打ち出の小槌」として濫用される危険があることも指摘しておきます。これを個人的には「個別的自衛権のパラドックス」と命名しています。

「個別的自衛権」を「打ち出の小槌」にしてはならないこと。これが第7のポイントです。

僕の個人的見解は以上のとおりです。政府・与党が論理的かつ現実的な見解に到達することを期待します。

(了)


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