政治経済レポート:OKマガジン(Vol.306)2014.2.26


前号に続いてマクロ経済政策(財政金融政策)を巡る話題です。来週以降の参議院予算委員会でもしっかり議論したいと思います。今国会では予算委員会筆頭理事を務めていますので、3月中は予算委員会にかかり切りです。なお、前号でSTAP細胞発見者の小保方博士の読み仮名を「こぼかた」博士と誤記しました。正しくは「おぼかた」博士です。お詫びして訂正させていただきます。


1.ミンスキー・モーメント

株価が上昇するのは喜ばしいことです。日本経済の好転は誰しも望むところ。但し、株価上昇が必ずしもイコール日本経済好転ではないということも、冷静な視点から認識しておくことが必要です。

1983年に日本銀行に入行し、バブル発生から崩壊の過程を金融市場の最前線、と言うよりも渦中で体験した筆者としては、その記憶は消えようがありません。

1985年のプラザ合意を契機とした急激な円高。それに伴う円高不況を克服するための低金利政策。その結果として生じたバブル経済とその崩壊。

2008年のリーマンショックを契機とした一段の円高。それに加え、長年のデフレ克服も企図した異次元緩和政策。その結果として生じている円安と株高。さて、今後の展開如何。

この間、一貫して拡大している財政赤字。今回の異次元緩和政策も、結果的に日銀が大量に国債を購入する格好で財政赤字拡大を助長。「意図」はなくても、「現実」はそうなっています。

もっとも、そうした傾向は日本だけではなく、欧米諸国や中国でも進んでいます。だから良いとも、悪いとも言えませんが、冷静な認識と分析が必要なことは否定できません。

昨年来の日銀の異次元緩和政策の動向を凝視する過程で、「ミンスキー・モーメント」という単語を思い出しました。この単語に初めて遭遇したのは2010年。クルーグマン博士の論文の中です。

ミンスキー博士(1919年生まれ、96年没)は米国の経済学者。金融市場の不安定性やライフサイクルに関する理論を構築し、その内容はサブプライム危機(2007年)、リーマンショック(2008年)に際し、ウォールストリートで注目を集めました。

ミンスキー博士の唱えた金融市場のライフサイクルは、平易に表現するとごく当たり前のことです。

投資家は調子の良い時にはリスクテイクする、どんどんリスクを取る。リスクに見合ったリターンが取れる間はリスクテイクを続ける。何らかのショックでリターンに見合った水準以上にリスクが拡大すると、投資家は慌てて資産を売却する。

それを契機に、資産価格が下落する。投資家は債務超過に陥り、資金提供していた金融機関のバランスシートも毀損する。さらに状況が悪化すると、投資家も金融機関も破綻する。

金融市場や経済全体が危機に陥り、中央銀行が市場に大量の資金供給を行い、金融機関を救済する。

以上の記述は、民間資産を前提としていますが、資産が政府債務(国債)であっても展開は同じです。国債への過剰投資が限界に達し、投資家や金融機関が危機に瀕する場合は、中央銀行が救済に乗り出すということです。

クルーグマン博士の論文では、次のように表現されています。曰く「具体的な理由はどうであれ、受け入れ可能な(安全であるとみなされる)政府債務水準の上限が突然引き下げられる瞬間がやってくる。それがミンスキー・モーメントである」。

「ミンスキー・モーメント」は突然やってきます。何らかのショックが契機ですから、それが何かは予測がつきません。

ここで、現在の状況に照らして「ミンスキー・パラドックス」という造語を提起したいと思います。

なぜなら、現在は危機に瀕して中央銀行が救済に乗り出す以前に、中央銀行自身の国債購入が危機の前段階の状況を生み出しているからです。

「ミンスキー・モーメント」が到来する前から中央銀行が現状に荷担しているという「ミンスキー・パラドックス」。

中央銀行の歴史はわずか150年足らず。実は初めての事態に遭遇しつつあります。「ミンスキー・モーメント」が到来した際に、「ミンスキー・パラドックス」の下で中央銀行はどのような役割を果たすのか。国会での重要な論点でもあります。

2.ポンツィ・オペレーション

ミンスキー博士は金融機能を、通常金融(一般的な融資等)、ヘッジ金融、投機的金融、ポンツィ金融の4つに分類しました。後者の比重が高くなるほど、市場や経済の不安定性が高まると指摘しています。

ポンツィとは耳慣れない単語ですが、調べてみると、1920年代に米国ボストンを中心に活動していた稀代の詐欺師の名前。

カルロ・ポンツィは1882年生まれのイタリア人。1903年に渡米し、ボストンで各国切手と交換可能な郵便用クーポン事業を発案。このクーポンを利用して各国の物価水準格差を利用した鞘取りビジネスを企図。なかなかのアイデアですが、あえなく失敗。

再起を期して、次は投資ビジネスを起業。「わずかな期間で利益率50%」の謳い文句は人気を博し、数千人から巨額の資金を集めました。

しかし、そのビジネスは「先に投資した人に後から投資した人の資金を使って配当する」仕組み。「ポンツィ・スキーム」と呼ばれたビジネスの本質は、要するに自転車操業。

1920年7月、地元新聞(ボストンポスト)が「ポンツィ・スキーム」を問題視する記事を掲載。資金繰りは一気に悪化。裁判所が新規投資の募集禁止を命じ、事業は破綻。新聞記事掲載が「ポンツィ・スキーム」の「ミンスキー・モーメント」となりました。

「ねずみ講」の原型のように思えますが、「ねずみ講」は下位の(後から参加する)投資家の人数を増やし、運転資金と上位投資者への配当を確保するピラミッド構造。一方、「ポンツィ・スキーム」は単純な自転車操業だったようです。

国債を購入し続け、自らのバランスシートとベースマネーを肥大化させる日銀の異次元緩和政策。自転車操業的という意味で「ポンツィ・スキーム」を連想させます。

クルーグマン博士が述べたように「受入可能な(安全であるとみなされる)政府債務水準」と思われているからこそ、現在の財政赤字水準をとりあえず市場が許容しています。

しかし、その「受入可能」の根拠は「受入可能」と市場が思うように日銀が購入し続けることが前提となっているわけですから、何となく「ポンツィ・スキーム」的、自転車操業的イメージです。

デフレ脱却、日本経済好転を目標とする日銀の市場調節(マーケット・オペレーション)。異次元緩和政策という表現にも飽きてきましたので、この際「ポンツィ・オペレーション」という愛称を寄贈します。

元祖詐欺師とも言われるポンツィ。晩年は心臓発作、脳障害、視力障害等の持病に苦しみ、1949年、リオデジャネイロで貧困のまま他界したそうです。

3.金融抑圧

日銀の「ポンツィ・オペレーション」は、政策的必要にかられ、あるいは政府の意思に影響されて行っていることは十分に理解できます。程度の差はあれ、他国も同様の状況に直面しています。

しかし、こうした状況が望ましいことではなく、言わば「必要悪」であることは、23日に公表されたG20(20か国財務相・中銀総裁会議)コミュニケ(声明)からも明々白々。

11項目から成るコミュニケの第4項目(金融政策に関する項目)で、次のように記しています。

曰く「我々は、多くの先進国において金融政策は引き続き緩和的である必要があると同時に、物価安定と経済成長の見通しを踏まえ、然るべきタイミングで正常化すべきであることを認識する」。

「このような将来的な進展は、世界経済にとって良いことであり、緩和的な金融政策への依存度を低下させることは、中期的には金融の安定性にとって有益であろう」。

もっともな内容です。だからこそ、米国では金融緩和を転換する準備が静かに進行。メルマガ前号で取り上げた「テ―パリング」です。

こうした中、最近、市場関係者、エコノミスト、経済学者の間で「金融抑圧(Financial Repression)」という単語がよく使われるようになっています。

「金融抑圧」とは、金融市場に対する政府の干渉を通じ、貯蓄者、投資家、債権者から、債務者である政府に富を移転すること。つまり、国民の財産を実質的に目減りさせ、政府債務を圧縮することを意味します。

G20コミュニケが金融政策の「正常化」を謳っていることは、現在が「異常」であることの証左。何が「異常」かと言えば、極端な金融緩和による「金融抑圧」です。

古代ローマ帝国は鋳造硬貨の貴金属含有量を減らして政府債務を圧縮。何も知らない国民は実質価値の低下した硬貨を使い続けました。

古代ローマと同様に、日本等の先進国では「金融抑圧」によって「国民の富が政府にかすめ取られている」と表現するエコノミストもいます。

デフレ脱却のためのインフレ政策、その手段としての異次元緩和政策。いずれも「金融抑圧」です。要するに、国民の実質資産を目減りさせる一方、政府債務を実質圧縮しています。

政府債務圧縮(財政健全化)のための増税や歳出削減は政治的な困難に直面する一方、「金融抑圧」は国民に十分認識されていません。「金融抑圧」は「密やかなデフォルト」とも言われており、政府はとうとう「禁じ手」に手を染め始めたという感想を否めません。

「金融抑圧」が成功する保証はありません。政府債務の実質圧縮を実現するためには、かなりのインフレが必要となります。民間部門から政府部門に富を移転するため、非効率な資金配分を助長し、中長期的な経済成長を妨げるリスクが高いでしょう。

さらに、バブルの発生と崩壊、制御不能なインフレ、財政への信認喪失、資本逃避による経済活動破綻など、「ミンスキー・モーメント」につながるリスクもあります。

クルーグマン博士の論文の2年後、2012年に日銀の白川総裁(当時)が「デレバレッジと経済成長」という演題で講演を行っています。

「デレバレッジ」とは「過剰債務の調整」。リーマンショック対策として金融緩和を進めている先進国は、いずれ「デレバレッジ」が共通課題になると言及。その「デレバレッジ」が「金融抑圧」によって始まっているということです。

ところで、実質金利は名目金利マイナス物価上昇率です。物価上昇率よりも低い名目金利を維持して、実質マイナス金利を志向する「金融抑圧」。

しかし、実質マイナス金利は「お金を借りると金利を受け取る」という状況。これは「自然の摂理」に反します。「お金を借りれば金利を払う」のが道理です。

さて、「金融抑圧」が勝つか、「自然の摂理」が勝つか。筆者は中長期的には「自然の摂理」が勝つと予測しています。だからこそ「自然の摂理」です。

名目金利を極端に低く(例えばゼロに)すると、実質金利がプラスになるように、結果的に物価上昇率はマイナス、つまりデフレになるのが「自然の摂理」。以前から唱えている仮説(自称「大塚仮説」)です。デフレは「原因」ではなく「結果」であるという捉え方とも言えます。

この仮説に基づけば、デフレ脱却のための「金融抑圧」が結果的にデフレを助長するという「金融抑圧パラドックス」が生じます。これも造語ですが、今後の政策論争のポイントとして提起しておきます。

(了)


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