今年は多くの皆様にお世話になりました。改めて御礼申し上げます。また、メルマガもご愛読いただき、ありがとうございました。来年もOKマガジンをよろしくお願い申し上げます。今年最後のメルマガは、来年の干支にまつわる気楽な話題をお伝えします。年末年始のお役に立てば幸いです。
1.甲午(きのえうま)
干支は十干十二支(じっかんじゅうにし)で構成されますので、「十」と「十二」の最小公倍数の「六十」でひと回り。六十歳になると自分が生まれた年の干支に戻るので「還暦」と言います。
ちなみに、十干は「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」。最初の組合せは「甲」と「子」の「甲子」。「甲子」の年に作られた野球場が甲子園です。
長い歴史を持つ干支。起源は紀元前17世紀頃の中国。複雑な事象を一定の規則性と根拠に基づいて説明する思想として知られる陰陽五行説(陰・陽の2つ、木・火・土・金・水の5つの要素の組み合わせによって事象を説明する思想)に端を発しています。
来年の干支は「甲午(きのえうま)」。60個の組み合わせの31番目。火難が多く、女の子を産まない方が良いという迷信・俗信が語られる「丙午(ひのえうま)」とは別物です。
「丙」「午」とも五行の「火」の類型。「十干」と「十二支」の両方の字が「火」に属する組み合わせは「丙午」と「丁巳」の2つだけ。そのうち「丙午」の方が一層火勢が強く、干支の中で最も激しい年と言われています。
そのため、「丙午」生まれの女の子は気が強いと言われますが、単なる迷信。むしろ、隆盛な年なので出産に好適という人もいます。
さて、来年の「甲午」。「甲」は鱗(うろこ)を描いた象形文字、または亀の甲羅に由来し、固い殻や種を意味します。生物が固い殻に覆われている状態を示し、成長過程の一番始めの段階を意味します。したがって、十干の最初にきます。
一方の「午」。上下に動く杵(きね)を描いた象形文字が原字。活発な行動力を意味します。本来「馬」とは無関係ですが、音が転じて十二支の「馬」。突き進む力を示します。
「伸びる」「成長する」ことを意味する「甲」に「活発な行動力」を意味する「午」が加わり、何事においても発展、前進していく年という解釈が多いようです。
景気は好転しているとの報道が氾濫していますが、中小企業や零細事業者はまだ実感するに至っていない先が大半。また、家計の所得増もこれからが本番。その一方、物価上昇や消費税引上げに伴う生活コスト増は始まっています。
東シナ海における日中韓の緊張、南シナ海での中国と東南アジア諸国の軋轢、北朝鮮の政変、西太平洋・インド洋での米中対立など、国際情勢も緊迫。
「甲午」の年は総じて言えば活発な動きのある年。諸課題の改善、解決に向けて、国会が健全な機能を果たさなくてはなりません。来年も頑張ります。
2.MSA協定秘密保護法
60年サイクルの干支。概ね60年ぐらいで歴史の節目や転換点に遭遇するのは不思議なことです。先人の知恵や過去の経験に学び、大難を小難に、小難を無難にしなければなりません。
120年前の「甲午」は明治27年(1894年)。アジアで唯一の近代国家を目指して日本の動きが加速していた時期です。
歴史の事実を紐解くと、同年、陸軍が一個旅団の朝鮮派遣を決定。欧米列強諸国との覇権争いに一石を投じるべく、本格的な海外進出の第一歩。
参謀本部内に大本営を設置し、日本軍が朝鮮王宮を占領。そして、清国に宣戦布告。日清戦争が開戦となった年です。
結果的に、日本が国際政治の舞台に本格的に登場し、覇権争いに身を投じ、その後の戦争の歴史の入口に立ったのが明治27年(1894年)の「甲午」の年と言えます。
60年前の「甲午」は昭和29年(1954年)。欧米列強諸国との覇権争いの結果としての太平洋戦争に敗れ、その後の日本の枠組みを決めつつあった時期です。
同年、米アイゼンハワー大統領が一般教書演説で沖縄基地の無期限保持を宣言。米国によるビキニ環礁水爆実験で第5福竜丸被爆。
そして日米相互防衛援助協定(MSA)調印。さらには、防衛庁設置法、自衛隊法、MSA協定にともなう秘密保護法が公布されました。
竹島領有権問題の国際司法裁判所への提訴は韓国側が拒否。憲法9条についての政府統一解釈が示され、自衛権保有と自衛隊合憲が明確化。吉田内閣総辞職。
臨時国会混迷の原因となり、来年施行予定の特定秘密保護法。その特定秘密保護法に深く関係するMSA協定秘密保護法の公布年であったとは、暦の偶然。
MSA協定秘密保護法は日米間の「相互防衛援助協定」「船舶貸借協定」「合衆国艦艇貸与協定」の調印に伴って制定されたもの。協定に基づいて米国から日本に供与される装備品や情報に関する「防衛秘密」を保護するものです。
因みに過日成立した特定秘密保護法第3条1項には、特定秘密保護法の対象の例外として、「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和29年法律第166号)第1条第3項に規定する特別防衛秘密に該当するものを除く」と明記してあります。
さて、再び巡ってきた60年振りの「甲午」の平成26年(2014年)。後世、どんな年だったと語られるのでしょうか。
ところで、方位を示すためにも用いられた十二支。「午」は南を示します。反対側は北を示す「子」。したがって、南北を示すのが「子午線」。午の刻は昼の12時およびその前後2時間。昼の12時を「正午」と言い、「午前」「午後」という言葉が誕生しました。
「午」は転じて「馬」。馬は古くから軍事、運搬、農耕に重用され、家畜としても親しまれていました。草食動物なので主食は草。日本ではニンジンが好物と理解されていますが、実は大の甘党。リンゴ、ハチミツ、角砂糖なども食べます。 顔の左右に目があり、瞳孔は横長。そのため視野は350度に及び、真後ろ以外は見渡すことが可能。動く物体に敏感に反応するため、競走馬として走る時は横側に目隠しをつけ、視野を遮ってレースに集中させます。
「馬」に倣い、視野を広げて60年振りの「甲午」の年を見据え、ひとたび時来たらば、「馬」のように脇目もふらずに突進します。因みに僕は亥年。猪突猛進で頑張ります。
3.駑馬十駕(どばじゅうが)
馬にまつわる格言、慣用句はたくさんあります。有名なのは「人間万事塞翁が馬」。幸不幸は予測し難く、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからない。人間の吉凶・禍福は見通し難く、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないことを諭しています。
出典は中国の「准南子(人間訓)」。ある時、塞翁(さいおう)という老人の馬が逃走(不幸)。やがて馬は別の駿馬を連れて戻り、人々が塞翁を祝福(幸)。ところが、塞翁の息子がその馬から落馬して負傷(不幸)。怪我のため戦争の兵役を免除。その戦争では多くの若者が戦死。結果的に怪我が息子の命を救った(幸)という故事から生まれた格言です。
さて、今年最後のメルマガ。以下、遊び心にお付き合いください。馬にまつわる格言、慣用句で綴る来年の日本。さて、いくつご理解いただけるでしょうか。因みに、馬以外の動物<例えば牛>が一緒に登場する格言、慣用句は除外しました。馬オンリーのものばかり。では、スタート。
「天馬空を行く」が如くの安倍首相。与党は「駆け馬に鞭」の勢い。多くの課題に「馬耳東風」。戦中派の「老馬の智」にも「馬の耳に念仏」。
「鹿を指して馬となす」ようでは、いつかは「馬脚を露わす」か、やがては「桂馬の高上がり」。はたまた「馬を得て鞭を失う」。
一方の野党。「痩せ馬の道急ぎ」「子馬の朝勇み」とならぬよう、「駑馬(どば)に鞭打つ」精神で「駑馬十駕(どばじゅうが)」を目指すべき。
「空馬(からうま)に怪我なし」の心構えで「荒馬の轡(くつわ)は前から取れ」。
「生き馬の目を抜く」国際社会。通商・安保・国際交渉では、党派の壁を乗り越えて、「鞍上(あんじょう)人なく鞍下(あんか)馬なし」で臨むべき。
大国相手の交渉は「将を射んと欲せば先ず馬を射よ」。その他諸国と「馬が合う」ことこそが肝要。与野党双方とも「腐り縄に馬をつなぐ」が如くでは困りもの。
国のために人材活用。「名馬に癖あり」の鉄則を忘れずに、自らは「千里の馬はあれども一人の伯楽はなし」との格言を肝に銘じ、「馬は馬方」の姿勢で臨むべし。
「長鞭(ちょうべん)馬腹(ばふく)に及ばず」。来年も「馬齢を重ねる」ことなく、自らの職責を果たすために「駑馬十駕(どばがじゅう)」で頑張ります。
さて、いくつご存じでしたでしょうか。馬にまつわる格言、慣用句は、まだまだたくさんあります。僕が個人的に好きなのは「駑馬十駕(どばじゅうが)」。
「人間万事塞翁が馬」。来年も「駑馬十駕」の心構えで精進します。では、良い年をお迎えください。
(了)